踊り繋いだ30年
「人生の達人」
廣瀬 朗(ひろせ あきら)さん(71)
昭和28年、南下川尻町に生まれ、育つ。高校卒業後、九州芸術工科大学(現:九州大学芸術工学部)へ進み工業設計を学ぶ。その後、福岡の大手自転車販売会社へ就職し、家業を継ぐため昭和53年に帰郷。現在、合資会社廣瀬商会・自転車生活課ゆうの代表を務める。
雲仙・普賢岳噴火災害を機に阿波踊りと出会い、平成6年に「島原不知火連」を結成。平成7年からは連長(代表)として結成以来30年間、噴火災害に対する支援への感謝を胸に地域活性化、観光・交流人口の拡大に情熱を注ぐ。
島原市スポーツ推進委員(H10~R2)、島原市スポーツ委員協議会会長(H28~R2)、人権擁護委員(R2~現在)を務め、長崎県スポーツ推進員功労者表彰(H22)、九州地区スポーツ推進員功労者表彰(H30)、島原市表彰(H30)などを受賞。南下川尻町在住。
■阿波踊りとの出会い
日本三大盆踊りの一つに数えられる徳島県の阿波踊りは四百年以上の歴史をもつ伝統芸能です。徳島から遠く離れた島原の地で「島原不知火連」を結成して30年。阿波踊りへの情熱を注ぐのは連長(代表)を務める廣瀬朗さんです。
「平成4年、私は島原商工会議所青年部の事務局長でした。当時、島原は雲仙・普賢岳噴火災害で大きな被害を受け、全国の商工会議所から義援金などの励ましをいただきました。そんな中、徳島県阿南市の商工会議所青年部の皆さんから「火山灰で外遊びができない島原の子どもたちを夏休みに招待し、交流を通じて将来を担う子どもたちの一助になれば」という話をいただき、五小と四小の児童を中心に、「阿南・島原げんき塾」としてバスで阿南市を訪問しました。市役所に到着すると「ささゆり連」の皆さんが阿波踊りで歓迎していただき、初めて見る踊りにとても感動しました。その日は徳島市の阿波踊り大会も観覧し、災害で心が沈んでいた島原を元気づけてほしい、とお願いしたら、10月のしまばら温泉不知火まつりに「ささゆり連」の皆さんが来てくれることになったんです。市民も初めて見る阿波踊りに大盛況でした。前夜祭から二日間、市内各所で踊りどおしで、疲れきって座り込む踊り子さんにおばあさんが歩み寄ってきて「噴火災害は本当に悲し阿波踊りとの出会いいことだったが、おかげで本物の阿波踊りを初めて見ることができて本当にうれしかった」と、涙を流しながら一人ひとり握手をしてくれたんです。それを見て阿波踊りはこれほど人を感動させるものなんだと思い、見るだけではなく自分たちも踊って続けていかなければいけない、島原で阿波踊り大会を開催すれば交流人口が増え、地域も元気になるぞと思ったんです。」と、振り返ります。
その後、平成6年に商工会議所青年部を中心に「島原不知火連」を結成し本格的に練習を開始。平成8年には中堀町アーケードで第1回阿波踊り大会を成功させました。踊りの指導などでお世話になった「ささゆり連」をはじめ、地元事業所や団体、保育園児などが参加してとても盛り上がったそうです。
■「島原不知火連」結成30年を迎えて
阿波踊りを始めて以来、健康づくりと足腰の鍛錬のために毎日のローラー台での自転車こぎとウォーキングを欠かさない廣瀬さん。「ささゆり連の皆さんの指導や支えがあって結成でき、ご支援いただいた皆さんのおかげでここまで来たれたことに感謝しています。阿波踊り大会の継続はもちろん、博多どんたくには20年以上参加し、島原観光のPRも行いました。阿波踊りは生演奏なのでテンポに緩急をつけたり、若い人から高齢者まで年相応の踊り方があり、踊りの自由度が高いのが魅力です。」と、これまでの活動と魅力を語ります。
「今年は結成30周年を記念して11月2日(土)は午後2時からホテルシーサイド島原にて、3日(日)は午前10時30分から島原城西のやぐら前広場で阿波踊り大会を開催します。観覧無料でお楽しみ抽選会もありますのでぜひご来場ください。3日は午前10時からサンシャイン中央街アーケード、午後2時からは一番街アーケードでも披露します。噴火災害を機に始まった島原の阿波踊り。全国からいただいた温かい支援への感謝を胸に、これからも踊り続けていきます。」と、力強く語っていただきました。
▽島原不知火連Facebook
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