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自治体の皆さまへ

輝く島原人Vol.78 島原に生きる

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長崎県島原市

【人生楽しく、大好きな歌とともに】

「人生の達人」
山川 和子(やまかわ かずこ)さん(84)
昭和14年、戦前~戦中の中国大連に生まれ育つ。昭和22年、引き揚げにより7歳で親の故郷である島原(御手水町)へ。三会小、三会中、島原商業高校へ進み、高校卒業後は島原鉄道に就職しバスガイドとして活躍。その後、経理事務所や保育士の仕事を経て、特別養護老人ホームなどで介護士として働く。退職後、70歳過ぎに三会明生会に入会し、地域活動などに積極的に参加。明るい人柄から会員に慕われ、女性部長を長年務める。令和3年度には三会明生会の会長に就任。高齢者の社会参加や奉仕活動などに尽力している。三会明生会会長(R3~)、島原市老人会連合会副会長(R3~)、長崎県老人クラブ連合会永年勤続功労賞(H30)、など。御手水町在住。

■ステキな出会いに感謝
「たくさんの人との出会い、友人に恵まれ、いろいろな教えや手助けのおかげで、今日の私があるんです。」と、語るのは三会明生会の会長を務める山川和子さんです。月2回、明生会のカラオケ同好会の仲間で楽しい時間を過ごします。

高校卒業後、島原鉄道に就職。当時、憧れの花形職業だったバスガイドとして活躍しました。その後は保育士などの仕事に従事し、40歳頃から68歳まで介護士として仕事を続けたそうです。
「20年間勤めた特別養護老人ホームを退職後、再就職した病院で患者様のレクリエーションを担当しました。そこで私の部下になる職員が短大卒でレクリエーションインストラクターの資格を持っていたんです。そのとき私は62歳で、介護現場での指導経験はありましたが、資格は持っていませんでした。そこで一念発起して資格を取得するために諫早のスクールに通うことにしたんです。仕事が終わった後、毎日夜10時まで1年間通い、休日は実地研修のため佐世保・大村・長崎のイベントや研修などにも参加しました。周りは若い方ばかりでしたが、友達のように接してもらいました。大変でしたが無事に資格を取得できました。今では老人クラブやふれあいサロンの活動でとても役に立っているんです。」と、語ります。
自身を楽天家だと笑う山川さん。「三会明生会では女性部長を務めていましたが、前会長からお願いされて、私なんかで大丈夫かなと思いましたが、「なるようになるかな」と、会長を引き受けることにしたんです。女性部長も兼務しながら3年間。会員の皆さんのご協力のおかげで気負うことなく今日まで務めることができました。」と、語ります。
歌うことが大好きで、カラオケ同好会以外にもカラオケ教室にも通っているそうです。「教室に通い始めたのは約30年前から。最初は友人から誘われて気軽に参加したんですが、歌うことの魅力にはまってしまいました。大好きな曲は美空ひばりさんの「悲しき口笛」、菅原都々子さんの「月がとっても青いから」ですね。昔の懐メロが好きです。ひばりさんとは2歳違いで、子供の頃から映画や曲に親しんできました。」と、語ります。
今後の目標をお聞きすると、「明生会も若い会員さんが増えて、一人でも多くの方が活動に参加してもらえたら嬉しいですね。今後は与えられた任務を悔いのないように務め、大好きなカラオケに通いながら孫の成長を楽しみに、人に迷惑をかけないよう、人生百年を目指して過ごしていきたいですね。」と、笑顔で語っていただきました。

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