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輝く島原人Vol.81 島原に生きる

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長崎県島原市

~言葉探しの旅に出かけましょう♪~

「人生の達人」
松下 冨士子(まつした ふじこ)さん(91)
昭和7年、福岡市に生まれる。小学5年生の時、疎開のため父の実家から近かった島原へ移る。第二小学校、県立島原高等女学校を卒業。
27歳の頃、体調を崩し約1年間の入院生活中に諧句と出会う。初投稿の句が西日本新聞文芸欄で選評付き(選者:諧句の創始者故池田可宵先生)のトップに掲載。これを機に精力的に創作活動を続け、昭和52年には「いさりび諧句クラブ」を設立。月例句会は本年6月で第464回を数え、作品は島原新聞文芸欄で発表。西日本新聞長崎県版「読者文芸」欄では、諧句選者を務める。
平成12年に島原半島文化賞を個人で受賞。本年5月には主宰する「いさりび諧句クラブ」が同賞を受賞。高島一丁目在住。

■「諧句(かいく)」との出会い
「言葉はその人の文化であると申します。俳句と違い、季語を考えなくても詠める庶民的な諧句は、五・七・五のリズムで、自然や心象風景などを口語体で思いのままに綴る楽しさと、言葉選びの難しさが同居しているようです。ぜひ皆さんも詠んでみませんか。」と、諧句の魅力を語るのは、松下冨士子さんです。
20代でその世界に魅了されて以来、県内の第一人者として精力的に活動を続け、平成12年には島原半島文化賞を受賞。その活躍は作句にとどまらず、長崎県文芸大会の選者を80代まで務め、西日本新聞長崎県版「読者文芸」欄では、現在も諧句選者を20年以上務めています。
「私が59歳の時、主人に先立たれました。残された私は寂しさから書道、三味線、長唄、日本舞踊、真美体操、コンピューターグラフィックスなどいろいろな趣味に取り組んできましたが、その中でも今も何とか続けられる短詩文芸の諧句は「残り物に福あり」でしょうか。今は二人の息子の「父さんの分まで長生きして」の励ましに応え、身の丈を精一杯生きています。私にとって諧句は、脳をさびさせない魔法であり、生涯の恋人です。」と、語ります。

▽「いさりび諧句クラブ」の歩み
松下さんが主宰する「いさりび諧句クラブ」は今年で設立48年目を迎え、月例句会など長年の活動が認められ、令和6年島原半島文化賞を受賞しました。
「振り返れば昭和52年、当時の私は故池田可宵先生が選者を務める西日本新聞の読者文芸欄に投稿を続けていましたが、機会があって県税事務所の職員さんと会報誌の「文芸欄」を通じて意気投合し、句会の設立を勧められたのが事の始まりでした。会の名称は風光明媚な有明海をイメージして「いさりび」と命名し、愛好者約10人でのスタートでした。私の気軽な発想が今日に至る48年という長い営みになろうとは思ってもいませんでした。」と、会を設立した当時を振り返ります。
「以前は30数名の会員で活動をしていましたが、最近は会員が減少して寂しく思います。毎月第一土曜日、午後一時から霊丘公民館で例会を行っています。若い方からご高齢の方まで、興味をお持ちの方はぜひお気軽にご参加いただければと思います。今年はおかげさまで島原半島文化賞の栄を賜りました。現在は少人数での活動ですが、受賞を励みに、2年後の設立50周年を目指して切磋琢磨し、ひたむきに精進していきたいです。」と、今後の目標を語っていただきました。

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