「人生の達人」
山﨑倫弘(やまさきともひろ)さん(66)
昭和33年、白土町で生まれ、育つ。大学卒業後、大手企業の研究職に約3年半勤めた後、家業である造り酒屋を継ぐため帰郷。以来、伝統的な手法による日本酒造りに加え、時代に合った酒造りにも情熱を注ぎ続ける。
山﨑さんが造る酒は全国新酒鑑評会において平成22年から3年連続で金賞を受賞。島原スペシャルクオリティにも認定されている。
山崎本店酒造場代表。(株)島原観光ビューロー土産品部会部会長も務める。白土町在住。
■名水の里に名酒あり
▽ゼロからの挑戦
白土湖近くの風情ある町屋敷通り。この地で清らかな島原の湧水で酒を仕込む山崎本店酒造場。江戸時代、福知山(京都)から移封され島原藩主となった松平忠房公とともに、分家して京都から島原に居を移し、酢・醤油・ろう作りを行っていましたが、明治17年からは酒造りに専念し、その歴史は一四〇年を誇ります。
5代目の山﨑倫弘さんは家業を継ぐため26歳で帰郷し、酒造りの世界に入りました。「知識も経験もなく、ゼロからの酒造りは苦労も多かったです。当時は昔からある普通酒が主流でしたが、時代の変化で吟醸酒などの特定名称酒と呼ばれるお酒が好まれるようになり、新たに高品質な酒造りに挑戦したかったのですが、昔かたぎの杜氏さんに理解してもらうのは簡単ではなかったですね。」と、当時を振り返ります。
「試行錯誤で苦労していた頃、国からの技術指導や、販売店からのお声掛けで杜氏さんと一緒に蔵元の見学に行っていろいろ親切に教えていただいたんです。そしてさっそく麴室(こうじむろ…麹を作る部屋)を作り替え、貯蔵倉庫や大型冷蔵庫も整備し、新たな酒造りを進めることが出来るようになりました。皆さんのご協力やいい人材にも恵まれたおかげでその翌年から鑑評会で金賞に選ばれるようになったんです。」と、語ります。
▽日本の伝統的酒造りが世界遺産へ
日本酒造りには[一、麹(こうじ)、二、酛(もと)、三、造り]という、格言があるそうです。「やはり、麹作りに一番力を入れています。温度や湿度などの管理に加え、これまでの経験を踏まえて全体の状態を見ながら作っています。良い麹はゆっくり長く効き、甘味や香りも出てくる。仕込んだもろみがプチプチと音を立ててアルコール発酵が進み、その香りが蔵全体に広がってくると何とも言えない嬉しい気持ちになります。子どもが順調に育っていってるような感じですね。」と、顔をほころばせます。
昨年12月、日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。「国の応援に感謝しています。海外からの注目も高まってくると思います。世界遺産にも認められた文化と技術に若い世代の方が関心を持ってもらえればうれしいですし、日本の誇るべき伝統が続いていってくれることを願っています。」と、語ります。
今後の目標をお聞きすると「酒造りを始めて一四〇年、戦時中も休まずに続いた歴史あるこの酒蔵が続いていけるように、これからも努力を怠らず、皆さんに愛される、おいしい酒造りを頑張っていきます。」と、力強く語っていただきました。
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