文字サイズ
自治体の皆さまへ

波佐見の偉人 第5回

22/37

長崎県波佐見町

◆黒板 傳作(くろいた でんさく)
第4回「黒板勝美」で紹介しましたが黒板家の先祖は田ノ頭郷の戦国武将・黒板越中守勝信(えっちゅうのかみかつのぶ)で代々大村藩士の家系です。
黒板傳作は、明治9年(1876)6月22日、大村警察出張所(大村市)に勤務していた父・黒板要平の次男として西大村に生まれました。兄は黒板勝美です。
やがて傳作は祖父の死に伴い父の要平とともに田ノ頭郷に帰り、鹿山小学校(波佐見町立中央小学校)に通学しました。傳作は兄の勝美に劣らぬ秀才で、小学校の同級生だった宿郷八島出身の本田雄五郎(波佐見で最初の医学博士)は自身の自伝で「田ノ頭の黒板傳作という秀才がいて、いくら努力しても負けた(後略)」と述べています。
傳作は鹿山小学校を主席で卒業し、当時、波佐見に高等小学校がなかったため、早岐の第十二高等小学校へ進学しました。傳作は「品行学業共に優等ナルヲ以テ特ニ之ヲ賞ス」と褒賞状を頂いて卒業し、私立尋常大村中学校(長崎県立大村高等学校)へ進学しました。岳辺田郷の小鳥居才吾(医学博士)の思い出の記録に「大村の中学校へ入学するや常に黒板傳作氏と首席を争ったが、どうしても黒板さんにはかなわなかった」と語っています。
大村中学校を一等賞で卒業した傳作は家計が豊かでなかったため、向学心は強かったが進学をあきらめ、試験を受け折尾瀬小学校(佐世保市立三川内小学校)の准教員となりました。長崎県の推薦や兄・勝美の勧めもあって小学校教員を9月まで勤め、学資を貯め、兄と同じ熊本の第五高等学校(熊本大学)第二部(工科)に進学、優秀な成績で卒業し、明治30年(1897)東京帝国工科大学機械工学科(東京大学工学部)に進学しました。
ある日、機械科主任教授の真野文二(まのぶんじ)(工学博士)は傳作がボロボロの洋服に尻切れ草履のみすぼらしい姿を見て、傳作にアルバイト先を紹介しました。アルバイト先とは当時発明家として知られていた鈴木藤三郎(すずきとうざぶろう)が経営していた鈴木鉄工部でした。そして傳作は明治33年(1900)大学を卒業しましたが、機械製作への好奇心と機械に対する執着から、卒業と同時にアルバイト先の鈴木鉄工部の技師として入社し、かたわら日本精製糖株式会社(DM三井製糖ホールディングスの前身の1社)の器械嘱託技師をも勤めることになりました。
傳作の鈴木鉄工部での仕事は主として設計技術者として設計の責任者であり、当然、鈴木藤三郎の発明特許には深く関係し、傳作の知識と努力が多く傾けられたことを如実に物語っています。入社一年余後には、鈴木鉄工部の技師長となりましたが、鈴木藤三郎が事業家としてビジネスマン感覚で会社経営と機械製作を進めていたことに対して傳作はビジネスマン感覚よりも機械工学の専門家としてエンジニアの視点で忠実に機械製作を進めたいとする気持ちが強く、この両者の路線の違いが人間関係に支障をきたし、明治38年(1905)3月31日に鈴木鉄工部を退社しました。この間、傳作は大学院に進学して更に研究を進めていきました。
傳作は日露戦争の鉄工業ブームに注目し、明治38年4月に深川区猿江町(東京都江東区)にエンジニアの山谷和吉と共同で東京鉄工所機械部を設立し、同年8月には京橋区月島(つきしま)東仲通5丁目(東京都中央区)に東京月島機械製作所を創立しました。そして、大正6年(1917)5月、株式会社に組織変更して、月島機械株式会社を設立しました。
また、傳作は徒弟教育に力を尽くし、私塾「黒板徒弟養成所」を開設し、多くの技術者を養成しました。私塾は全寮制。昼は工場で働き、夜は塾で勉強という日課で、傳作自身も寝食を共にして指導にあたり、社内にあっても従業員から「先生」と呼ばれました。大正7年(1918)には塾生は60人を超え、5年制の夜学も新設され、戦時中と終戦後の中断はありましたが、昭和51年(1976)の閉校まで、数多くの優れた人材を送り出しました。養成所の卒業生は、その優秀さから他社からの誘いを受け、卒業生のほとんどが他社へ流れる年がありましたが、傳作は「優秀な人材が各地で働くことは日本のためになり、長い目でみれば当社のためになるのだ」と気にする様子はなかったと言います。
傳作は、昭和8年(1933)12月27日に57歳で没しました。傳作が創立した月島機械株式会社は、その後、長男の黒板駿策(くろいたしゅんさく)が社長職を継ぎ、昭和27年(1952)から甥の今里廣記が取締役に就任したこともある企業で、現在は東京都中央区晴海3丁目5番1号に本社を構え、環境技術の分野で世界に貢献しています。

学芸員 盛山 隆行

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU