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[特集]天正遣欧少年使節 原マルチノの足跡を辿る。

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長崎県波佐見町

天正遣欧少年使節とは何か、ご存じでしょうか?
16世紀、キリシタン大名であった大村純忠や大友宗麟、有馬晴信が、ローマ教皇のもとに派遣した使節団のことです。
その目的は、ヨーロッパのキリスト教の世界を見聞させて布教に役立てることや、ローマ教皇に日本への布教に対する経済的支援を求めることでした。

当時、有馬セミナリヨ(南島原市にあった神学校)にはイエズス会のアレッサンドロ・バリニャーノ神父が、司祭や修道士育成のための初等教育をしており、当時13~14歳だった四少年(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ)が学んでいました。
天正遣欧少年使節の欧州派遣は、バリニャーノ神父が企画して、キリシタン大名に勧めたものでした。

◆原マルチノとは
ここで、四少年の一人である原マルチノに着目します。
原マルチノは1569年推定、肥前波佐見で生まれました。父親は大村純忠の家臣であり、波佐見の名士であった原中務(ナカツカサ)でした。
有馬セミナリヨには第1期生として入学し、四少年の中では最年少でしたが、将来司祭になるために必要であったラテン語を若くして習得し、頭脳明晰。天正遣欧少年使節では副使に命じられました。

四少年には日本人の本名がありましたが、原マルチノだけは何と名乗っていたかが分かっていません。ヨーロッパに関連資料が残っていないか、今後の解明に期待がかかります。
使節団は1582年2月に長崎港を出発。当時の移動手段は帆船であり、風向きを読みながら航路を進めなければなりません。そのため、東から西へと風が吹きやすい冬が良いタイミングだったようです。
同年3月にはマカオに到着するのですが、12月まで風待ちのためそのまま滞在していました。
2年後にポルトガルの首都リスボンに到着。
その翌年にはスペインの首都マドリードに到着して、スペイン国王フェリペ2世の歓待を受けました。

ローマに到着したのが1585年3月、長崎を出発してから約3年掛かりました。
サン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇グレゴリウス13世に謁見し、四少年には市民権が与えられました。

グレゴリウス13世が謁見後に急逝したため、新たにシクトゥス5世が教皇に即位。
ローマでは祝福パレードが行われ、四少年も参列しました。

ヨーロッパの新しい知識を身に着けた四少年は帰路につきます。途中でインドのゴアに立ち寄ったところ、バリニャーノ神父と再会。
ここで、原マルチノはイエズス会員の前で感謝の言葉を述べ、これが「原マルチノの演説」として有名になりました。
1590年に帰国。国内では信長の世が終わり、秀吉の世へ。四少年は秀吉に招かれて、京都の聚楽第で謁見し、ヨーロッパから持ち帰った楽器を演奏したところ、秀吉は大変喜び3回アンコールを求めたとのことです。
しかし、国内ではバテレン追放令が出され、キリスト教は弾圧されていました。
徳川幕府の世になると、新たに禁教令が出されることに。
大村純忠や大友宗麟などのキリシタン大名は既に他界しており、四少年は、それぞれ厳しい運命を辿ります。

◆四少年、その後の運命
多くの宣教師は国外へ逃れ、学びの場は迫害されます。長崎では日本26聖人と呼ばれる信者らが処刑され、教会は破壊されました。
伊東マンショは迫害を受けながら布教活動を続けましたが43歳で死去。中浦ジュリアンは20年間布教活動を続けましたが捕まり、棄教を拒み処刑されました。千々石ミゲルはイエズス会を退会して、その後大村藩士として仕えました。
原マルチノは、コレジヨ(神学校)の院長に推薦されるほどの信仰を集めました。また、得意の語学とヨーロッパから持ち帰った活版印刷機を使い、洋書の翻訳などで活躍しました。
自身のマルチノの演説文は、日本人が印刷した初めての活版印刷物となったのでした。
しかし、幕府の命によりマカオへ追放処分。翻訳と出版を続けましたが、日本へ帰ることなく、1629年に死去。聖ポール大聖堂の地下にバリニャーノ神父と共に葬られ、現在もここに眠っています。
四少年は、海を渡りヨーロッパに日本のことを広め、活版印刷機や西洋楽器など、西洋の先進的技術や文化を日本にもたらしました。
国内はキリスト教の布教から禁教へと変わり、四少年は時代に翻弄されましたが、世界に目を向けて行動し、成し遂げた功績は、まさに偉大であったと言えるでしょう。

◆ゆかりの地としての活動
天正遣欧少年使節にゆかりのある市町(波佐見町、大村市、西海市、雲仙市、南島原市、宮崎県西都市、熊本県天草市)で「天正遣欧少年使節ゆかりの地首長会議」を構成しています。
各市町の中学生が集い、毎年1回国内交流、3年に1回海外派遣を行い、使節の功績や歴史に触れ、交流する機会をつくっています。
私たちの郷土で生まれ、世界で活躍した偉人について学び、子どもたちには波佐見町または町外でも将来活躍してほしいと願っています。

問い合わせ:企画情報課 企画班
【電話】80-6661

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