文字サイズ
自治体の皆さまへ

波佐見の偉人 第10回

19/33

長崎県波佐見町

◆今里 廣記(いまざと ひろき)
◇誕生から幼少期
今里廣記は、明治40年(1907)11月27日、父・友次郎、母・加代の4男として上波佐見村1025番戸(波佐見町宿郷596番地)に生まれました。廣記の生家は江戸時代中期の明和年間(1764~1772)から続く造り酒屋「今里酒造」で父・友次郎は明治41年(1908)に「株式会社波佐見銀行」を設立し、初代頭取に就任しました。母・加代は第4代上波佐見村村長を務めた黒板要平の長女で、加代の兄には東京帝国大学教授を務めた大歴史学者・黒板勝美と東京月島機械製作所を創立し社長となった実業家・黒板傳作の兄弟がおり、日本の文系理系の分野に偉大な伯父を持つこととなります。大正3年(1914)4月、廣記は波佐見尋常高等小学校(中央小学校・東小学校)に入学しました。身長はあまり高くありませんでしたが、頑健で造り酒屋のお坊ちゃんとして、友だちを従えて山野を遊びまわっていました。

◇旧制大村中学校の日々、家業を継ぐ
廣記は大正9年(1920)4月に長崎県立大村中学校(長崎県立大村高等学校)に入学し、読書に注力する傍ら、ボート部に所属して大村湾に漕ぎ出し汗を流しました。廣記はやがて高校受験に臨みましたが、受験に失敗、その矢先に家業の今里酒造を継いでいた次兄・達美が24歳の若さで亡くなったので父から家業を継ぐように言われました。大正14年(1925)3月、廣記は大村中学校を卒業し、「今里酒造」の番頭として酒の製造と卸・小売をする家業に励み、たちまち信望を集めましたが、近江銀行(本店・大阪)に就職していた長兄・久香が退職して突然、波佐見に戻って来ました。久香を社長にして、常務取締役の廣記は、資金繰りの相談などで、よく福岡の取り引き銀行を訪ねては、支店長と話し込み、その際に小林鉱業の立て直しを相談され、廣記は父・友次郎から多額の財産を分与され、昭和8年(1933)25歳で独立しました。

◇「九州採炭株式会社」の経営から上京へ
小林鉱業は社名を「九州採炭株式会社」と改称し廣記は副社長を務め、業績は向上し、資産もどんどん増大するなど積極経営が図に当たり、順風満帆の時期でしたが、2人の詐欺師にだまされ、ゼロから出発しようということで、昭和13年(1938)末に一家で上京を決意しました。廣記は航空機の製作に注目し、航空機材工業株式会社を立ち上げ、折からの軍需産業ブームもあって、経営は大成功を修めました。

◇「日本精工株式会社」4代目社長、「財界の官房長官」として
戦後は日用金属製品の生産に従事し、昭和23年(1948)7月、機械工業の名門「日本精工株式会社」の4代目社長にスカウトされ、労働組合系社員の意見も丁寧に聞き、短期間で見事に会社を建て直しました。
廣記は経済同友会幹事、経営者団体連合会(経団連)常任理事、日本経営者団体連盟(日経連)顧問などの要職を兼任しながら、財界調整役としての立場を形成し「財界の官房長官」と呼ばれるようになりました。廣記は昭和39年(1964)、東京オリンピックの年に完成した「浜松町~羽田空港間のモノレール」と「世界貿易センタービル」の2点セット建設事業、そして、第一次オイルショックの年、昭和48年(1973)に着工した「池袋サンシャインシティ」の建設事業を成し遂げました。島原市ゆかりの経済人・中山素平と廣記とは馬が合い、世間では「知恵の中山、行動の今里」と称され、2人のおかげで戦後日本経済の復興が進んだとの評価がなされました。

◇ふるさと波佐見への思い
様々な国家的規模のプロジェクトに参画し、世界各国との経済交流を積極的に進め、日本経済の復興と発展に大きく寄与した功績によって、廣記は昭和54年(1979)に勲一等瑞宝章を受章しました。また、野々川ダム建設、波佐見中学校建設、圃場整備の際、波佐見町に有益な助言、指導、援助を行い、ふるさと波佐見の発展のためにも尽力しました。そして昭和53年(1978)に波佐見町名誉町民の称号が贈呈されました。

◇芸術文化への造詣、「NTT」の設立
廣記の親友で作家の井上靖は廣記のことを「財界の芸術院長」と尊称し、廣記は多忙な経済活動のかたわら、芸能、文芸、スポーツ界の人々との交流を大切にした〝感性豊かな〟人でした。特に長崎市出身の歌手・さだまさしの支援も積極的に行いました。廣記は「日本電信電話株式会社(NTT)」の設立を最後の大きな仕事として、昭和60年(1985)5月30日に亡くなりました。享年77歳。逝去に際し、正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を受章しました。波佐見が生んだ不世出の巨人・今里廣記の胸像は、南島原市出身で日本の大彫刻家・北村西望の作ですが、建立された宿郷・鹿山神社の境内から生家・今里酒造や幼少年期に遊んだ大平岳を望んでいます。

学芸員 盛山 隆行

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU