【03】墓石発見と調査
○ミゲルのものとみられる墓石
2004年2月28日、「千々石ミゲルのものとみられる墓石が発見された」と、旧多良見町教育委員会が発表しました。
発見者は、石造物研究者の大石一久さんです。当時は、この歴史的大発見を多くのメディアが取り上げ、全国からたくさんの歴史ファンが押し寄せました。
○発見に至るまで
きっかけは埼玉県在住の宮崎栄一さんからの一本の電話。宮崎さんは、千々石氏一族の子孫で、以前から一族の調査を行っており、清左衛門の4男・千々石玄蕃の墓石を見てほしいと大石さんに依頼。大石さんは、宮崎さんと墓石の管理をしていた井手則光さん⦅多良見町在住⦆夫妻の立ち合いのもと調査を行いました。
○玄蕃の墓ではない
墓石は、地元で「玄蕃さんの墓」と言い伝えられてきました。しかし、大石さんは、墓石の裏側に刻まれた玄蕃という名前に「裏側に刻むのは、普通は建立した施主の名では」と疑問を抱き、詳しい調査を行いました。
その結果、
(1)墓石の場所は清左衛門がかつて大村藩主から与えられていた土地であること
(2)墓石の裏面には、通常、墓を建てた人の名を刻むので玄蕃が両親の墓を建てたと考えるのが自然なこと
(3)墓石に刻まれた「妙法」という文字がミゲルの改宗後の宗教と合致すること
(4)家系図から玄蕃の両親は、ミゲル夫妻以外にありえないこと
などから、この墓石はミゲル夫妻のものと判断しました。
○発掘調査への道のり
「ミゲルの墓石」として確定するには発掘調査が必要とされ、土地所有者らの協力が必要となりました。
しかし、調査には多額の費用と準備が必要なため、数年の月日が過ぎました。
○民間主導の発掘調査へ
地域での関心が高まり、調査でミゲルの謎に迫りたいと期待が膨らむ中、民間主導での発掘調査を行う案が浮上。ミゲルの子孫で墓所の所有者である浅田昌彦さんが、大石さんと一緒に墓所整備という形で調査を決意しました。
○4回の調査
2014年9月の第1次調査および2016年9月の第2次調査で、墓石の基壇を確認。その下に遺体を納めた穴があると推定されました。
2017年8月の第3次調査では推定された場所から2基の埋葬施設を検出。その一つからはガラス玉類やガラス板などの副葬品が出土、それらはキリシタンの信仰具であったと思われます。ここから成人女性の人骨も検出しました。
2021年8月に行われた第4次調査では、成人男性の人骨を検出。墓所の全体像が明らかになりました。
○墓所の意義
4回の調査で出土した遺物の分析などが専門家によって行われました。その結果、これまでの発掘成果と大石さんの研究成果を再度検討した上で、「当墓所が千々石清左衛門⦅ミゲル⦆夫妻の墓所であると確定する」との結論を得ました。
この墓所は、墓石や地下の埋葬遺構、副葬品、人骨など近世初頭の稀有な遺構で、被葬者が千々石清左衛門⦅ミゲル⦆という歴史に名を残す人物であったことから、考古学上特筆すべき遺構であると考えられています。また、今回の調査で1633年1月、清左衛門は妻の死の二日後、妻のあとを追うようにこの世を去ったことが分かりました。
参考文献:千々石ミゲル夫妻伊木力墓所⦅千々石ミゲル墓所調査プロジェクト⦆
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