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自治体の皆さまへ

躍動する長与人 Vol.07

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長崎県長与町

長与にゆかりのある、各分野で活躍している人を紹介します。

〈プロフィール〉
津野田幹太さん
長与町に工場を構える有限会社津野田ゴム加工所の3代目社長。1991年、当時小学校3年生のとき、長与町への工場移転に伴い家族で長与町に転入。洗切小学校、長与第二中学校、長崎北陽台高校を卒業。20歳で有限会社津野田ゴム加工所に入社。事業を成長させるため邁進し、2019年に父から社長を譲り受けた。

Q:家業を継いだ経緯を教えてください
A:高校卒業後は、福岡県のIT関係の専門学校に進学しました。しかし、1年生の冬、両親から「後を継ぐつもりで工場に入ってくれないか?」と便りが届いたことで、学校をやめて家業を継ぐ道を選びました。すぐに返事ができた、というわけではなく、家業を継ぐことには葛藤がありました。様々なことを考え、今までの人生を振り返ったとき、親から頼みごとをされることはなかったと気がつきました。親が頼みごとをするということは、よほどの事なんだろう。そう思うと、次第に心が固まりました。

Q:苦労したことを教えてください
A:社会情勢の変化にはいつも苦労させられます。元々は、船の部品の制作が仕事の大半を占めていたため、2010年の造船不況で売上が大きく落ち込みました。また、原子力発電所向けの部品も制作していたので、2011年の東北大震災での原子力発電の稼働停止は厳しかったです。直近では、2019年に代表取締役に就任しましたが、すぐにコロナ禍になり、経営の舵取りが大変でした。挙げればきりがないくらい、いつも大変です。

Q:大変な時期は、どのように乗り越えましたか。
A:壁にぶつかるたびに新しいチャレンジをしてきました。実は、働き始めたころ、うちの会社はすごくブラックで、毎日夜の10時や12時まで働いていました。それを是正するために、業務の効率化に取り組んだのが、最初のチャレンジです。造船不況や原発が止まったときには、半導体製造装置向けの部品製造にチャレンジしました。全くの手探り状態でスタートした半導体事業でしたが、とにかく必死に取り組み、今では売り上げの約40%を占める事業に成長しました。しかし、半導体の需要もコロナ禍で減少。そこで、外的要因に大きく左右される経営構造は変えていくべきだという課題が浮き彫りになりました。やはり、ある程度自分たちで制御できる、オリジナルのものを作らないとだめだなと痛感しました。それが今の新しいチャレンジです。

Q:今後の展望を教えてください
A:現在、津野田ゴム加工所はとても高いゴム加工技術が確立されています。今後は、長与町から全国、世界に出していけるゴム部品を出荷していきます。現在、173社とお取引がありますが、2030年までに410社、ゆくゆくは5000社の会社とお取引させていただくのが目標です。また、長与町は特産品が少ないので、弊社の技術を活用した特産品やサービスを開発して、「ふるさと納税」などを活用して全国の方に届けたいです。

SANSAIマグカップ
長与町で作られていた三彩焼をシリコンゴムで、現代風にリバイバルしました。長与の特産品を目指します。

▽ひと言メッセージ
長与町に引っ越してから33年間大変お世話になってきました。
会社の規模を大きくして、長与町の方の雇用の創出、地域行事へ寄付、納税で少しでも長与町に貢献したいと考えております。現在、新たな工場の建設も模索しておりますが、スタッフの半数が長与町在住なので、長与町に建設したいです。

詳しくはこちら
・採用ホームページ
※二次元コードは本紙P.30をご覧下さい。

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