文字サイズ
自治体の皆さまへ

学ぼう♪歴史文化遺産

21/38

長崎県雲仙市

■釜蓋城跡(かまぶたじょうあと)
(戦国時代:1,569年(永禄(えいろく)12年)築城)

千々石小倉名城山の橘神社を含む丘陵の山頂部にある城跡(標高154m)で、別名千々石城跡と呼ばれています。城主は、有馬氏家臣の千々石直員(なおかず)で、天正遣欧使節団の一人である千々石ミゲルの父親です。
この当時、日本各地では、自然災害や疫病の流行、室町幕府の衰退とともに各地で戦が続くという不安定な世の中でした。島原半島では有馬氏が勢力拡大していましたが、1563年(永禄6年)の丹坂峠(にさかとうげ)の合戦(佐賀県小城市)で、佐賀の龍造寺隆信の軍に敗れ、敗走することとなりました。龍造寺の軍は、島原半島にも勢力を伸ばし、1577年(天正5年)には千々石が攻められ、釜蓋城は落城、城主は家臣とともに自刃したとされています。大村藩の記録には、この時、千々石ミゲルは4歳で、乳母とともに日本最初のキリシタン大名である大村純忠(ミゲルの叔父)のもとへ移ったとされています。
釜蓋城跡は、帯曲輪(おびくるわ)などの遺構を残しており、展望台からは、千々石の町並みや橘湾を一望することができます。まるで、千々石や島原半島を守ろうと戦った先人たちが、今も見守っているかのようです。
出典:1998『千々石町郷土誌』

問合せ:生涯学習課
【電話】0957-47-7864

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU