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2023年度 中学生派遣事業 現地レポート

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長野県中野市 クリエイティブ・コモンズ

戦争の悲惨さを学ぶとともに、平和に対する啓発活動を行うことを目的に、被爆地である広島市・長崎市へ市内の中学生を派遣する中学生被爆地派遣事業と、北茨城市との姉妹都市交流を促進するため、同じく市内の中学生を派遣する学校新聞特派員事業が行われました。今回は派遣された生徒の報告をお届けします。

■広島市 被爆地派遣 現地レポート
8月4日~6日、高社中学校3年生の齋藤櫂(さいとうかい)さん、山田遙慶(やまだはるちか)さん、平野雄人(ひらのゆうと)さんの3人が「平和使節」として広島市を訪れました。現地レポートの一部を紹介します。

○~広島平和記念資料館を見学して~ 齋藤さん
溶けてボコボコになった自転車、焦げて破れた服や原爆の被害を受けた方の写真を見て、こんなにも残酷な兵器があっていいのかと思い、胸が苦しくなりました。原爆の影響はこれだけではなく、放射線の影響で命に関わる病気になっり、今でも苦しんでいる方がいることを聞き、驚きました。また、原爆ドームは当時の原爆の威力を物語っており、78年間、自然災害などに耐え、存在し続ける姿は、平和への願いを伝えてくれているようにも感じました。
原爆は一瞬で多くの命を奪い、今もなお傷跡を残しています。「もう二度と起こしてはいけない」というメッセージを私たちが後世に正しく伝えなければならないと改めて感じました。

○~ヒロシマ青少年平和の集いに参加して~ 山田さん
原爆被害に遭った笠岡貞江(かさおかさだえ)さんのお話を聞きました。当時12歳だった笠岡さんは爆心地から3.5km離れた自宅で被爆しました。原爆が投下された時は、まさに地獄のようだったそうです。笠岡さんのお話を聞き、最も心に刺さったのは「ここにいるみなさん全員幸せ」という言葉です。当時は勉強がしたくてもできず、食べ物も満足に食べられなかったといいます。勉強ができ、好きな時に好きなものを食べることができる私たちは、確かに幸せなんだと感じました。
今回、ヒロシマ青少年平和の集いに参加し、特に原爆の恐ろしさをよく知ることができました。しかし、知ることはゴールではなく、しっかりと伝えていくことが大切だと思いました。

○~平和記念式典に参加して~ 平野さん
式典に参列できたことはとてもよい経験になりました。式典では、広島市長による平和宣言や市内の小学生による平和の誓いなどが行われ、広島市長が「核兵器を保持する国の指導者たちに被爆地を訪れ、自らの目で耳で被爆の実相を知る努力をしていただきたい」と訴えていました。平和の誓いでは、市内の小学生が「被爆者の思いを自分のこととして受け止め、自分の言葉で伝えていく」と訴えていたことが印象に残りました。それは、原爆の悲惨さや苦しみを理解したうえで、平和な世界をつくるために考え、行動していくことだと思いました。
式典を通し、78年前の出来事は、二度と繰り返してはならないことだと再認識しました。

■長崎市 被爆地派遣
8月8日・9日に南宮中学校3年生の出川栞(でがわしおり)さん、髙木優咲(たかぎゆうさく)さん、山口奈々(やまぐちなな)さんの3人が長崎市を訪れる予定でしたが、台風6号の接近により中止となったため、市役所で平和祈念式典の中継を視聴後、生徒の皆さんが式典に向け作成した千羽鶴を市へ受け渡しました。

○出川さん
実際に長崎市へ訪問し、直接学べる機会が失われたことは残念でしたが、式典の中継を見て感じたことや今まで学んだことをより多くの方に広めていきたいです。
ただ広げるだけではなく、原爆や平和について学んだり、考えてくれる方が増えてくれたらいいなと思います。個人の力は微力ですが、こういったことを絶えず伝えていきたいです。

■北茨城市 学校新聞特派員 レポート
8月3日・4日、豊田中学校3年生の割田雄大(わりたゆうた)さん、小嶋(こじま)めいさん、藤沢琉未(ふじさわるい)さんの3人が「学校新聞特派員」として北茨城市を訪れました。現地レポートの一部を紹介します。

○~北茨城市立常北中学校との交流~ 割田さん
最初に簡単に自己紹介をした際、豊田中学校の役員は全員3年生なのに対し、常北中学校は2年生も役員になっていることに驚きました。お互いの学校紹介で、常北中学校は放課後に全校で体力づくりのためにマラソンに取り組んでいるなど、豊田中学校とは違うところが多くあり、今後生徒会を運営するうえで参考にしていきたいと思いました。
私たちが昨年度の文化祭で全校合唱した「ふるさと」を流したとき、皆さんが真剣に聞いてくれたのがうれしかったです。ほかにも、銘菓の「五浦(いづら)最中」を一緒に作ったり、常北中学校の吹奏楽部の演奏を聴いたりなど、短い時間のなかでもとてもいい交流ができました。

○~北茨城市の文化について~ 小嶋さん
私たちは「しゃぼん玉」などの童謡や、「磯原節」といった新民謡でも知られる野口雨情(のぐちうじょう)が15歳まで過ごした生家を訪れました。原稿をはじめ、貴重な資料の数々を見ることができました。また、中山晋平との関係も深いため2人の写真も置かれていました。さらに、実の孫である野口不二子(のぐちふじこ)さんから当時の様子などを聞き、雨情についてより深く知ることができました。この生家は、東日本大震災の際、津波の影響を受けたそうです。それでも「何があっても雨情の残したものを守らないといけない。」と話してくれた不二子さんからは雨情の功績を未来にも残していきたいという熱い思いが伝わってきました。

○~北茨城市の自然に触れて~ 藤沢さん
北茨城市は太平洋に面しているため、常に潮風が吹いており、長野のような熱気がたまりやすい盆地とは違い、思っていたよりもずっと涼しかったです。雨情生家を見学後、天妃山(てんぴさん)という茨城県で二番目に低い山(標高21.2m)に登りました。雨情が子どもの頃に遊び場とし、あの水戸黄門も登ったとされる山の頂上から見る水平線はとてもきれいでした。
北茨城市は東日本大震災の際、推定7mの津波に襲われたそうです。この津波による被害を風化させないための取り組みが市内の至る所にありました。五浦岬公園というところには展望慰霊塔がつくられており、慰霊塔の鐘を鳴らしながら、海とともに生きる人たちの努力を感じました。

○髙木さん
長崎市長や被爆された方の一つ一つの言葉が強く心に刺さりました。また、中継の視聴後、市役所に展示された当時の資料や写真を拝見し、胸が締め付けられました。
核兵器廃絶の思い、被爆者の方の思いは決して絶やしてはいけません。自分の言葉や行動でこの思いが多くの方に広がってほしいと思います。

○山口さん
第二次世界大戦以降、誰しも「戦争は繰り返してはならない」という思いのなか、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、多くの方の平和が脅かされています。
一人の力では核兵器の廃絶も戦争もなくすことはできませんが、この考えを広げることはできます。平和について考える方が増えるよう、多くの方にこの考えが広がるよう意識していきたいです。

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