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2024年度 中学生派遣事業 現地レポート

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長野県中野市 クリエイティブ・コモンズ

戦争の悲惨さを学び平和に対する啓発活動を行うことを目的に、被爆地である広島市・長崎市へ市内の中学生を派遣する被爆地派遣事業と、竹田市との姉妹都市交流を促進するため、同じく市内の中学生を派遣する学校新聞特派員事業が行われました。現地レポートの一部を紹介します。

■被爆地派遣 長崎市
8月8日~10日、中野平中学校3年生の松島丈士(まつしまじょうじ)さん、山田拓未(やまだたくみ)さん、片山奏子(かたやまかなこ)さんの3人が「平和使節」として長崎市を訪れました。

○~原子爆弾の恐ろしさ~ 松島さん
青少年ピースフォーラムで、被爆者の松尾幸子さんのお話をお聞きしました。当時小学生で、爆心地から約1.3km離れた山で被爆し、今もなお放射線による影響で病気と闘っているそうです。他にも、長崎原爆資料館で見た「11時2分」で止まった時計や、ひどい火傷を負った人の写真などからも原子爆弾によるものすごい速度の熱風の恐ろしさを感じました。
被爆体験講話や長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、意見交換会を通して資料からではわからない戦争や原子爆弾の本当の恐ろしさを肌で感じることができました。目を背けずにきちんと全校生徒に伝えていきたいです。

○~長崎で学んだこと~ 山田さん
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列し、長崎市長の世界に対する訴えを聞きました。「長崎を最後の被爆地にする」という言葉から、今後二度と同じようなことを起こしてはならないという強い思いと、平和への切実な祈りを感じました。長崎から世界に向けて、原爆の恐ろしさと今でも多くの被爆された方が後遺症に苦しんでいるという事実、核戦争の恐ろしさや核の開発をやめるべきだという声を発信することが、平和な世界の実現につながると考えました。
短い時間でしたが、平和についての理解が深まり、自分が成長できる充実した時間を過ごせました。

○~中学生被爆地派遣事業へ参加し、感じたこと~ 片山さん
青少年ピースフォーラムでの意見交換会では、全国各地から集まった中高生と、戦争やケンカが起きないためにはどうしたらよいか話し合いました。私は、まずは自分のことをきちんと理解し、一人一人が少しでも相手のことを知ろうと歩み寄り、相手も自分も大切にすることで戦争やケンカが起きないようにできるのではないかと考えました。
戦争を他人事にせず、自分の耳で聞いて、目で見て、自分なりに考えてみることが大切だと感じました。

■被爆地派遣 広島市
8月5日・6日、豊田中学校3年生の山口煌(やまぐちこう)さん、稲田茜(いなだあかね)さん、畠山(はたけやま)りのさんの3人が「平和使節」として広島市を訪れました。

○~被爆体験者のお話から~ 山口さん
ひろしま子ども平和の集いで梶本淑子(かじもとよしこ)さんのお話を聞きました。被爆当時の状況について、周りは死体だらけだったこと、そのときの匂いや、気持ちを聞きながら自分なりに想像しましたが、想像したくないくらい残酷でした。
この2日間を通して、平和な日常を一瞬にして奪ってしまう原爆の恐ろしさを知り、戦争は絶対に起きてはいけないことだと改めて感じました。もう二度と原爆が使われてしまわないために、たった一発の原爆がこれほど悲惨な状況を作ってしまうということを、友だちや家族に伝えていきたいと思います。

○~戦争をなくすためには~ 稲田さん
今年で終戦79年目を迎え、被爆された方の平均年齢は85歳と高齢になっており、いずれは戦争を体験した方が一人もいなくなってしまいます。戦争に無関心な社会にならないよう、戦争の脅威をリアルに感じられる平和学習を学校でも行うなど、子どものうちから戦争に関心を持てる機会を設けるといいと思います。
私もせっかく広島へ行き、被爆者の方のお話をたくさん聞いて直接戦争について学ぶという貴重な体験ができたので、友だちや家族に原爆や戦争のことを話していこうと思います。

○~ひろしま子ども平和の集いに参加して~ 畠山さん
当時、私たちと同じ中学生の頃に被爆した梶本淑子さんのお話を聞きました。何十年も前のことなのに、こんなにも鮮明にその時の感情や匂い、情景を思い出せるなんて、どんなにこの戦争が残酷だったのか考えさせられました。「こんなに残酷な歴史でも忘れられたら繰り返されてしまうので、次の世代へ伝えることが大事なんだ」という言葉が心に残っています。
このようなイベントは、広島の平和への思いや被爆体験を次世代に伝える大切な場となっています。私たちも平和を願い、過去の歴史を決して忘れずに伝えていくことの重要性を再確認しました。

■姉妹都市交流 竹田市
8月5日~7日、南宮中学校3年生の長田(おさだ)みなみさん、宇田悠人(うだはると)さん、木村美月(きむらみつき)さんの3人が「学校新聞特派員」として竹田市を訪れました。

○長田さん
竹田市は瀧廉太郎(たきれんたろう)が育った市で、中野市とは半世紀にわたる音楽姉妹都市です。「荒城の月」のモデルとなった岡城跡も見学し、断崖絶壁でとても驚きました。
また、平和学習に力を入れており、毎年8月6日には夏休み中にもかかわらず登校し、広島平和式典を見た後、平和や戦争に関する授業を受けるそうです。私たちも3年生の教室で平和学習に参加し、杉原千畝(すぎはらちうね)さんについて話を聞きました。クラスで活発に意見交換がされていて、竹田市の中学生の平和学習への深い理解を感じました。

○宇田さん
竹田中学校の3年生の平和学習に参加し、「杉原千畝さんの生き方から平和について考えよう」というテーマで話し合いました。杉原さんはリトアニアの外交官で、日本政府からの命令を無視してビザを発行し、多くのユダヤ人を救いました。僕は最初、もしも杉原さんの立場だったらビザは発行しないと考えていましたが、他の人のさまざまな意見を聞くことで、目の前に自分の力で助けられる命があるなら助けたほうがいいと考えるようになりました。
竹田中学校での平和学習を通して、改めて命の重みと平和の大切さを感じました。

○木村さん
瀧廉太郎の生家である記念館は、下駄の音やスズメの鳴き声など、いろいろな響きや音が感じられる場所で、廉太郎が「荒城の月」などを作曲していた当時の雰囲気を想像することができました。中野市から送られた「日本のストラディバリ」と称される小沢僖久二(おざわきくじ)さんのバイオリンもあり、交流の深さも感じることができてよかったです。
初めて竹田市を訪問しましたが、自然が豊かで、交流したみなさんがすごく優しく温かい方でした。また行きたいなと思えるとてもいい場所でした。

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