■江戸時代、中野市域に設けられた天領陣屋(3)
―中山晋平生誕の地にあった新野陣屋―
江戸時代、天領(幕府領)となった新野村に陣屋(じんや)(代官所)が設けられた。
もとは、1681(天和元)年に新野村などが松平摂津守義行(まつだいらせっつのかみよしゆき)(尾張徳川分家・家康の曾孫)領となった際、新野村に置かれた郡(こおり)奉行の役所であった。それが、1700(元禄13)年、松平義行の所領替により天領陣屋となったのである。
新野陣屋は、中山晋平生家の150メートルほど東に位置する、新野(字日野岡)24番地の2の中山氏屋敷を中心とする場所にあった。
陣屋の敷地は東西約33間、南北約18間。敷地内には、旗杭井(はたくいのい)と呼ばれる池がある。当時は、飲料水や田畑の用水として利用されていた大切な池であった。
新野陣屋は、1722(享保7)年に中野陣屋に統合されて番庁となった。そして、2年後の1724(享保9)年に廃止された。
残された建物のうち、本殿は中野陣屋の建家として移された。御門や籾蔵などは、堀江佐右衛門(ほりえさえもん)(父親は新野陣屋の役人)が落札して引き取ったという。
その籾蔵を堀江氏から譲り受けて移築したものが、新野67番地の1の池田氏屋敷にある蔵である。池田家では代々にわたって大切に保存してきたのである。
寺島正友
「高井」会長
<この記事についてアンケートにご協力ください。>