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文化なかの「公民館報」No.239 ~ふるさとの歴史

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長野県中野市 クリエイティブ・コモンズ

■寒い家から暖かい家へ あるいは古代化する住まい
かつて、高梨氏館跡(高梨館跡公園)にあった御殿。遺構や出土品から見て、都風の建築である。『洛中洛外図』の足利将軍邸「花の御所」のような。
だとすれば、開放的なつくり。信州で、夏はともかく、冬はどうだろう。暖房は火鉢である。囲炉裏もあったろう。だが、かなり寒そうだ。「風流は寒きものなり」ということか。殿様も楽じゃない。
これ以前、古代の信州では、住まいは竪穴住居だった。縄文時代から続く半地下式の家。庶民だけではない。豪族の住まいもである。例えば、南宮遺跡(長野市、南長野運動公園)で発掘された平安時代の豪族屋敷。大型の竪穴住居が並んでいる。都の周辺ではとうの昔に廃れていたのに。
その背景は寒さである。北半球の寒冷地で、近代まであった竪穴住居。調査記録によると、裸で過ごせるほど暖かかったという。つまり、高気密・高断熱の家。古代もそうだったのだろう。だからこそ、寒い信州では竪穴住居に住み続けた。都とつながりを持つ豪族でさえも。
鎌倉時代以降、信州でも家は地上式に変わった。高梨御殿の都風もその流れの中にある。「古民家」のルーツでもある。吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草』に「夏をむねとすべし」とある家づくり。ヒートショックの元凶か。しかし、高気密・高断熱の暖かい家が推奨される昨今。住まいは古代化しているようだ。

柳生俊樹
生涯学習課学芸員

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