■焚き火のすすめ
ひとそれぞれ、火にかかわる思い出はいくつもあると思います。そして火とともに、煙の臭いや、同じ時間を過ごした人たちの姿も、からだの芯に記憶しているに違いありません。私の記憶は、小さい頃の一家総出の味噌(みそ)炊(た)きの火には、大豆のかぐわしい匂いと家族の笑顔、年末の餅つきの釜の火にも、正月を迎える高揚感と力強い杵(きね)の音が蘇ってきます。毎年、春になると地区総出の土手焼きの火も、服に移った煙の香りとともに、これから始まる野良仕事を宣言する野火(のび)でした。とても恐ろしい火もありました。小学校4年生の冬の夜、障子越しにまっ赤に燃える火に泣きそうになったことがあります。近所の家の火事でした。現場は離れているのに、すぐ隣が燃えているかのような妖魔(ようま)の色でした。このように火にかかわる記憶は、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がないほど思い出されます。
2011年3月11日の東日本大震災の時も、2018年9月6日の北海道大規模停電(ブラックアウト)の時も、毎年のように襲い来る未曾有(みぞう)の災害においても、火は人々に恐怖を与えると同時に安らぎと安心を与えました。災害直後の全く灯りのない漆黒の闇に包まれた時、遠くに見える大きな火は生きる力を与えました。火を焚くことは、私たちの先祖が繰り返し経験してきたことであり、敬慕(けいぼ)の遺伝子として記憶しています。
私の場合、幼い頃からの火とのつき合いが、幸せな時間を提供してくれた気がします。火とのつき合いがなければ、随分と異なったものになっていたかもしれません。翻(ひるがえ)って、現在の子どもたちの多くは、マッチやライターを使えません。焚き火をしたり、焚き火で魚を焼いたり、味噌汁やカレーを作るなどの煮炊きもできません。人類が火とつき合ってきた長い歴史のなかにあって、大切な遺伝子が消えてしまいそうで心配です。
便利さは益々進化して、火を熾(おこ)す理由がない時代になりました。そんな時代だからこそ、伊那の子どもたちには、普通に焚き火ができ、煮炊きができ、火の怖さを知ってもらえるようにしたいと願うのです。火と上手につき合える、そんな伊那っこを育てたいと願っています。
伊那市長 白鳥考
<この記事についてアンケートにご協力ください。>