■仁科五郎盛信(にしなごろうもりのぶ)の霊を祀(まつ)る五郎山
天正10(1582)年、高遠城が織田軍に攻められて、城主仁科五郎盛信らは壮烈な討ち死にを遂げました。高遠城の南側に位置する当時の勝間村の人々は、戦が終わってから焼け跡の屍を持ち帰り、若宮原で火葬にして近くの山に埋めました。それから後、この山は五郎山と呼ばれるようになったと言われています。
この五郎山の尾根に祠が建てられています。高遠城落城のあと、城主仁科五郎盛信以下戦死者の霊を祀った祠です。今ある祠は幕末の頃、高遠藩儒中村元恒のすすめにより藩で建てたものです。山頂には仁科五郎盛信の祠があり、山頂から勝間集落に向かう道中には他の武士の祠が4つあります。
五郎山は地域の人々に愛されている山であり、小学校の遠足コースにもなっています。かつて麓で血なまぐさい合戦が行われ、多くの人が命を落としたなどとは到底信じられない静けさを保っています。
白山トンネルを長谷方面に抜けるとすぐにほりでいパークがあります。そこの駐車場に止めると、目の前に五郎山が見えます。お花見のあとぜひ登ってみてはいかがでしょうか。
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