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想いを石に刻む〜高遠石工の歩いた道〜

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長野県伊那市

■Vol.37 貞治仏と伝わる石仏
伊那市美篶の下川手地区は守屋貞治(もりやさだじ)の弟子渋谷藤兵衛の出身地です。この地区内の公民館の北隣に守屋貞治と渋谷藤兵衛の合作とされる石仏が安置されています。いかにも守屋貞治風の姿をした佉羅陀山地蔵菩薩なのですが、『石仏菩薩細工』に記載されていないため、守屋貞治作とは断定できません。いかにもというのは、顔つき、日輪のくり抜き表現、裳の柔らかな面と衣文線の表現、目、爪、蓮華座などの微細な段差の表現、塔身に陰刻された願王和尚の漢詩が建福寺や桂泉院などの寺院に見られる貞治の石仏に酷似している点です。
このお地蔵様の塔身には年代も刻まれています。「旹文政十二己丑星」「三月二十四日立焉(ここにたてる)」とあり、貞治が最晩年を迎えていたころになります。それならば貞治作とするのが有力なのではないかと思うかもしれません。しかし、決定的にこれまで見てきた貞治仏と違う点があります。それは仕上げの磨き方です。貞治は肌の部分などを、刃物を研ぐのと同じように、砂岩製の砥石で研いでから泥岩製の砥石で磨き上げています。このお地蔵様は粗砥に留まっているように見受けられ、砥石で撫でた跡のような線が残っていて、表面はざらざらしています。もし貞治が仕上げを行うとしたら、願主は磨き上げまで依頼したでしょうし、貞治もお地蔵様の肌の部分をすべすべになるまで丁寧に磨き上げたことでしょう。古文書が出てこなければ真相は分かりませんが、藤兵衛が地元で仕事を頼まれ、貞治の石仏とそっくりに仕上げたと考えるのが現状では妥当なのではないでしょうか。
それはともかく、このお地蔵様も美篶にある石仏の中では相当に美しいものです。関連する資料がないか探していくのと同時に、大切な文化財として守っていけるようにしたいものです。

問合せ:高遠町歴史博物館

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