■伊那市民会館とブロンズ像横町分館
伊那市民会館は、昭和38年7月14日に開館しました。当時の市報(昭和38年7月1日発行)によると、「伸び行く市政の象徴…待望久しかった市民会館が、総建設費9,559万4千円で完成しました。合併以来の念願だっただけに、その竣工は、伊那市発展の象徴ともいえるでしょう」と書かれています。当時、日本にあった550以上の市のほとんどに市民会館が建設されていましたが、伊那市にはなかったため、市民が一斉に集える施設が切望されていました。青年会や婦人会、市民団体の働きかけもあり、市民会館は建設されました。
1階には、約1,500人が収容できる大ホールがあり、歌謡ショーやコンサート、各種団体の発表会に使用されました。2階には、会議室を中心にいくつかの部屋があり、会議や市民の交流の場としてとても賑わいました。
長く愛された市民会館ですが、老朽化に伴い平成25年に取り壊し工事が行われ、50年の歴史に幕を閉じ、その跡地には現在の伊那公民館が建設されました。
その伊那公民館入口の花壇の中には、市民会館から受け継がれたブロンズ像が設置されています。
このブロンズ像は、伊那市出身の彫刻家中村喜平さんの「陽」という作品で、昭和38年、市民会館の落成を記念してロビーに設置されていたものです。市民会館の取り壊しにより、一旦創造館へ運ばれましたが、跡地に伊那公民館が建設されたことから、元の場所に戻し、「より多くの方に見てもらいたい」という願いや、市民会館の文化や思い出を忘れることなく伝えるために、その象徴として設置されています。
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