■先人たちの思いを繋ぐ大萱井
農業委員 泉澤國人
西箕輪大萱地区は、経ヶ岳の麓と伊那谷天竜川の中間に位置しています。地質学的には扇状地のため、また山の麓より離れていることから、昔より水の確保に苦労してきました。昔の人から伝え聞いているところでは、伊那町(現伊那市街)より歩いて上ってくると、途中は林ばかりで、現在の大萱団地のあたりに来て漸く空が見え、林の中に村があったとのことです。そして現在の旧西箕輪郵便局あたりからまた林が続き、当時の羽広村近くなってまた空が見えるようになったとのことです。
そのような地域であることから、村の周辺には、田んぼが少なく、その結果、畑に稗や粟を作り生活していました。その後養蚕が盛んになり、畑は一面桑畑となりましたが、昭和四十年代後半には、大型農道、中央自動車道の開通により、果樹や加工トマト、スイートコーン等の市場向け野菜を栽培するようになりました。
大萱井に話を戻しますと、明治五年、西箕輪の与地、上戸、中条地区と同様に、水田用水を確保するため、長野県の立会いの下、小沢川下流の荒井、西町地区等と話し合いの末、上流の北沢川より取水し、延々約六キロメートルの水路を通しています。途中には、隧道が3か所ありますが、当初はコンクリートで固めていないため、天井が崩落することも度々あり、その都度役員が這うようにして土砂を除いたりしていました。また、現在の水路は、U字溝となっていますが、当初は土水路でしたので水漏れも多く、田こなしの時期には水の取り合いもあったと聞いております。
昭和二十八年、大萱下方地域で土地改良事業が実施され、家の周辺に五畝位の田を残し、その他の田は現在の中央自動車道東に集めて水田地帯としました。当初の稲作はすべて人力でしたので、一反歩区画とし圃場整備を行いました。水路は、水利権者(組合員)がコンクリートを練り、人力で作り上げたようです。その後約四十年を経て、水路等の老朽化、また稲作の大型機械化等により、平成四年になって圃場整備事業を行いました。伊那西部土地改良区薮原工区の区画事業として、関係機関の協力を経ながら、三反歩区画の田を約十四町歩確保し今日に至っています。
しかし、どの地区も同じと思いますが、時代の経過とともに、農業後継者不足となっております。大萱水利組合の組合員は、六十一名おりますが、水田耕作者は少なく約十五名であります。畑に至っては主に牧草畑として、隣村の南箕輪の酪農家に貸している状況です。
先人たちが、米を作りたかったが水が無かった昔の大萱村。そんな先人たちが血のにじむような苦労をして引いてきた大萱井。そんな先人の思いを大切にしたいと改めて思っています。
■農業委員会の主な活動をお知らせします
▽令和5年
10月10日〜11日 長野県19市農業委員会会長・事務局長会議(飯田市)
10月25日〜28日 地区会(9地区)
10月30日 第19回農業委員会月例総会・最適化会議・農業振興委員会
11月17日 伊那谷三市農業委員会合同会議
11月17日 上伊那農業委員会協議会先進地視察
11月20日〜21日 県外視察研修(北杜市)・長野県農業委員会大会
11月24日〜27日 地区会(9地区)
11月29日 第20回農業委員会月例総会・最適化会議
11月30日 全国農業委委員会会長代表者会議・長野県選出国会議員への要請活動
12月7日 上伊那農業委員会協議会年金加入推進特別研修会
12月11日 伊那市農業委員会意見書の上申
12月14日 長野県農業委員会女性協議会上伊那支部視察研修会(中川村)
12月20日 長野県農業女性フェスティバル(更埴市)
12月21日〜25日 地区会(9地区)及び農地相談会
12月27日 第21回農業委員会月例総会
▽令和6年
1月19日 タブレット操作講習会
1月24日〜26日 地区会(9地区)
1月30日 第22回農業委員会月例総会・最適化会議
2月16日 第20回上伊那ファーマーズの集い
2月20日 長野県農業委員会女性協議会研修会(飯島町)
2月26日 長野県農業委員会女性協議会上伊那支部総会研修会(中川村)
2月22日〜27日 地区会(9地区)
2月28日 第23回農業委員会月例総会・最適化会議・農業振興委員会
3月22日〜25日 地区会(9地区)
3月26日 第24回農業委員会月例総会・最適化会議
<この記事についてアンケートにご協力ください。>