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伊那市長のたき火通信

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長野県伊那市

■昔のお田植え
私が小学生の頃、当時の学校には「田植え休み」がありました。多くの家庭は農家でしたから、田植えや稲刈りの繁忙期(はんぼうき)には、学校が一週間ほど休みになりました。子どもたちは農家にとって貴重な働き手として当てにされた時代でした。
もちろん田植え機などはなく、人の手によって一株一株植えていきます。同じ間隔でまっすぐ植えられるように、板に細い棒を5本ほど打ち付けたT型の線引きや、六角形の転がる道具で線を引きます。そんなに丁寧に線を引かなくても、それほど秋の収穫に差が出るわけではないから、だいたいでいいのではないか?小さいながらも、いつも疑問を持って田植えをしていました。
大きな田んぼに人の手で植えるのは、気の遠くなるような作業です。そこで近所の人たちが集まって総出で田植えをしました。「結(ゆい)」といいます。この家の田んぼが終わると、次の家の田んぼへと移動し、10人程で何日も田植えをします。我が家の田んぼに、大勢の大人たちがやってくると、随分と頼もしく感じたものでした。
低学年の子どもは苗運びの役。田んぼの畔(あぜ)から、植えている苗が終わる辺りに苗の束を投げ入れます。微妙な推察のテクニックですが、概ね外れます。高学年になると、いっぱしの働き手としてカウントされます。親指・人差し指・中指で苗を3株ほど挟んで植え込んでいきます。一列に並んで植え始めても、大人との差はどんどん開きます。横に顔が見えていたのに、いつのまにかお尻が遠のきます。すると私の担当する3~4本の線上に、助け船を出して植えて行ってくれます。さりげない優しさに、近所のおばさんを見る目が変わります。
楽しみは、みんな揃(そろ)って食べる昼食です。「黄(き)な粉(こ)むすび」、「筍(たけのこ)とホタルイカの煮付け」、少し酸っぱくなった「沢庵漬(たくあんづ)け」など、田んぼの畔で過ごす時間の贅沢(ぜいたく)なこと。田植えの時期が終わるとワラビ採りです。友達と連れ立って、子どもなりの秘密の場所へ出かけて行きます。春先のフキノトウ、山ウド、コゴミ、タラの芽と季節を楽しみ、ワラビで山菜シーズンは一段落となります。
毎年、田植えの季節になると、田んぼで和(なご)む懐かしい人々と風景を思い出します。

伊那市長 白鳥考

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