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地域の歴史(17)箕輪

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長野県小海町

箕輪の地名は、全国に多くあり小海にも伝承が残されている。箕輪は結城合戦(一四四一年)で敗れた結城氏朝の子結城弾正朝孝が甲州若神子の近くの箕輪に住み箕輪氏を名乗り又小海に移住し地名も箕輪としたと思われる。現在若神子には、みのわ姓はなく、小海より移住した佐久市には、三塚十軒・布施三十五軒・前山十二軒・安原五軒・その他十四軒で合計八十六軒ある。佐久市では清久寺他之寺を建て、国会議員になった人や諏訪倉庫(株)の社長になった人もいる。次に人が箕輪に住み始めたのは元禄(一七〇〇)年代と思われる。南相木常源寺過去帳の三番帳に市兵衛の母(一七五一)年が初めてである。明治初年は家三軒、明治四十四年五軒、十五人で大正時代に発電所ができ、人口の増えるまでは行政区は、本村に含まれていた。

・箕輪神社
祭神 天照大神・建御名方命。創建年代は判らないが箕輪氏の住み始めた寛正年間一四六〇年頃。神宝 結城家楽譜(巻物)小海町志5古代・中世編に全文有、頁二五三。亀田鵬斎の大幟 外国の方に人気の書家。佐久穂町内にも有。掛幕 享保八年癸卯。

・五輪塔
昭和二十三年五月、箕輪から小海原に登る農道改修の際、十三基の塔が通称カブト塚より出土、完成品と思われる塔四基部分品と思われる塔九基が発掘された。箕輪氏の墓と思われる。

・箕輪飯綱権現
箕輪堰の開拓者小県郡長窪古町の人。城戸丈石ェ門を祭る。丈石ェ門は享保十一年庚午(一七二六)箕輪開拓中に倒れ、土村組名主与惣治が工事を引き継ぎ完成させる。

・弥兵衛明神
芦谷田の開発者、江戸三谷、山口弥兵衛を祭る(水神様)。

・道祖神石祠
流造 文化二丑二月吉日(五輪場)。現在は無いが昭和九年四月十七日みのわトンネルが開通、千曲川に箕輪橋が昭和四十六年十月にできるまでは、小海原を通り一時間以上かけて、本村より、箕輪、田のくぼに、農作業に行ったのは、遠い思い出です。

町志中世編纂委員 土橋勝一

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