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地域の歴史(25)大畑

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長野県小海町

大畑区は町内で最も新しく誕生した集落である。昭和四十九年に宅地分譲業務が開始され、昭和五十一年には四十数戸の人達が入居した。住宅地として分譲販売する前は、畑が一面に広がる場所であった。戸数の増加により、町の行政上独立した一部落にすべきか、地籍の関係で土村南町に編入すべきかの議論の結果、土村区の中の大畑地区として独立させる事を土村区も団地側も了承した。後に行政区としての「大畑」となるのは、昭和五十六年になってからである。
現在鎰掛の二子池団地となっている場所にはかつて二つの池があったと言われ、この池にいた主が小海の池ノ窪の池に移ってしまったので、池が浅くなって埋まってしまったと言う話がある(小海町志三・五〇九ページ)。その池は大畑の池ノ窪にあった二つの池で、男池、女池と呼ばれていた。後にゴミの焼却場になり、現在はゴルフ練習場になっている。以前は二つの池の奥の山手では毎年九月上旬に馬市が開かれ、屋台や飲み物屋も出て、賑わったということである。当時は戦場で使う軍馬としての需要もあったようで、馬の生産は養蚕と並んで、重要な収入源であった。
この場所を挟むようにして現存しているのが戦時中に造られた射撃練習をする為の射撃場である。北側の石積の場所が射場(銃を撃つ場所)で、南側には的を設置して射撃の正確さを確認する為の監的壕がコンクリートで丁寧に造られている。射場、監的壕の両方が揃って残っている事は他市町村と比較しても非常に貴重な戦争遺構であると言える。
射場とゴルフ練習場の脇を旧道が通っているが、この道は小海原に通じていて、土村の人達の耕作や山仕事の為の大事な通路で、本村を通り、親沢、相木方面への重要な道でもあった。
集落東側、山の内には東電の隧道が通っており、その山の尾根には土村区により遊歩道が整備されている。遊歩道や射場からの素晴らしい景色を、数年前から再び耳にすることが出来るようになった子供たちの歓声と共に味わって頂きたい。

町志中世編纂委員 菊原修一

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