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アイラブ小海 私のひとりごと(233)

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長野県小海町

鎰掛 新津正雄

今回の文章を執筆するにあたり、この町が私の中で「どれだけの想い」があるかを考えてみる。普段は何気なく暮らしている日常、そこに住んでいるのが当たり前すぎて何を書いて良いものか?なかなか題材が見つからない。そうこう考えていると、ふと思い出したのが小学校時代。私は北牧小学校出身になります。今の子供達はどこの事を言っているのかわからないでしょう。今で言う北牧学習館が当時のソレです。昭和五十一年生まれの私は木造の校舎しか知らず、新校舎になってからは入れずじまい。分館の役員になってようやく中を見れた時は「こんなに綺麗で快適な空間になっていた」って驚きました。不思議と北牧小の校歌「すそのは広し北牧の~」なんて、未だに覚えてます。あと冬場にPTAの皆さんで校庭にスケートリンクを作ったりしましたよね!土嚢で校庭の半分を囲って、はった水が数日かけて凍ったら授業でスケートを滑る。そういう時代でした。小海小学校の方達はどうだったんでしょう?少なからず北牧はそうでした。小学校時代の苦い思い出は「川に落ちた」。これにつきます。これは知る人ぞ知る出来事ですけどね。小海中学校に入ってからは「組合立って何?」ってずっと疑問でした。北牧・小海・北相木・南相木の四つの小学校が一緒になって四クラスで一学年。両相木が入ることで一気に世界が広がったのを覚えています。そういえば小海大橋が開通したのも良い思い出です。私が中学校に通うタイミングでちょうど通行できるようになりました。鎰掛から登校するとこれはもう感謝しかなかったです。振り返ると「思い出」がいっぱい詰まった故郷。この町から離れて仕事をした時期もありましたが帰れるべき場所があるからこそ色々なチャレンジも出来ました。私にとって「小海町」とは、生まれ育った土地であると共に子供の頃からの思い出が沢山詰まった場所。だから大事にしたい。今いる方達もそうですが、この町を出身とする方達にも大切な故郷であって欲しい。そのように想っています。

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