山形村長 本庄 利昭
村民の皆さまには、健やかに新年を迎えられたことと心よりお慶び申し上げます。昨年中は多くのご支援ご協力を賜り、誠にありがとうございました。本年もよろしくお願いを申し上げます。
昨年令和6年は、山形村の開村150年の節目の年であり、村の来し方行く末を思う記憶に残る年であったと思います。
■村の生い立ち
古代の山形村は、松本平最大規模の縄文集落とされている三夜塚遺跡をはじめ多くの縄文人が暮らす地であり、縄文時代の人々の営みが遺跡として数多く発見される埋蔵文化財の宝庫とも言われております。
米作りが始まる弥生時代には、水利に乏しい当地域では苦労を重ねながら米を栽培し、又畑作も行なわれた様であります。
江戸時代には、今日見られる集落の原型が出来上がり、大池村、小坂村、竹田村の3村のつながりは、当時から深かったと思います。
■山形村の誕生
明治維新以降、日本が近代化を進める中で、明治7年10月22日、大池村・小坂村・竹田村の3村の合併により山形村が誕生しました。
山形村の名前は、江戸時代に藩政の拠点となった松本城から見て山の方にある3つの村、山方三か村と呼ばれていたことに由来する様です。山形村が誕生した当時の人口は3,093人、戸数は630戸で、ほとんどの家は農業を生業としており、山沿いの一部を除いては、極めて用水に乏しい村であったと村史「やまがた」には記されております。
■戦後の山形村
戦後、昭和39年から当村が取り組んだ構造改善事業や昭和45年から始まる中信平総合開発事業により、農地の圃場整備が進み、梓川から農業用水の補給も始まり、農業の基盤が整備され、今では、県下でも有数の畑作地帯へと変貌を遂げております。
基幹作物の長芋は、明治時代から自家用や近隣への販売用として長年栽培されておりましたが、戦後間もなくトレンチャーが導入され、その後掘り取り機の開発により急速に栽培面積が広がり、近年では特産の長芋としてその風味と栄養価から多くの皆さまに愛されております。
又、昭和50年代から松本市・塩尻市のベッドタウンとして人口が増加に転じ、村の人口が急増する中で平成6年には、松本市との間で上水道の分水協定が締結され、平成21年からは、長野県松塩水道用水から直接給水を受け、懸案でありました安定した水道用水が確保されました。
■開村150周年の記念碑の建立
当村の西山の標高1,200メートルの山中にある清水寺は、伝承によりますと、天平元年、西暦729年に釈行基が回って来られ、自ら千手観音菩薩像を彫って安置し創建したと言われております。現在に至っても京都清水寺とは不思議な縁でむすばれており、今も村民の心の拠り所であります。
昨年10月22日の開村150周年の記念式典に先立ち、役場庁舎玄関の西側において、京都清水寺の森貫主様から揮ごういただきました「永」の書の記念碑の除幕式を行ないました。
当記念碑の建立にご尽力を賜りました清水寺執事の大西英玄様、又当村の絆会の皆さまには、深く感謝を申し上げます。
■山形村の未来
清水高原には古刹の清水寺・村内に点在する多くの石像文化財などの歴史と文化、豊かな自然に彩られたふるさと山形村の10年、20年先、更には開村200周年を迎える50年先においても、村民の皆さまが住み続けたいと実感し、また、多くの方から「暮らしたい」・「働きたい」・「訪れたい」と思っていただけるよう、魅力ある村づくりを村民の皆さまと協働で目指して参ります。
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