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心の眼(186)

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長野県東御市

◆映画「破戒」を考える
人権同和教育指導委員 岡澤 健一(おかざわ けんいち)

昨年の7月、全国公開された「破戒」という映画(2月DVD化)を、あなたはご覧になられただろうか。
この「破戒」という映画は、作家島崎藤村が、今から117年前の明治39年に自費出版した小説を映画化したものである。この作品は、藤村が本格的な小説家の道に進むこととなる作品であり、日本近代文学の先駆けとなった作品である。
60年ぶり3度目の映画化となった本作品は、現在のような様々な差別問題が起こる社会を予言し、また、原作の日露戦争真っ只中の社会と現在の世界情勢とを、与謝野晶子の詩に重ね合わせている。
原作が出版された時のこの小説はまさに現代小説であり、当時の部落差別の姿がノンフィクションのように語られている。また、当時の人々が持っていたであろう部落の人々に対する差別意識を、藤村の眼を通して感じ取ることができる。
しかし、今回の映画を観る私たちは、現在の社会を見る視点でこの映画を観るはずである。いじめ、セクハラ、パワハラ、ヘイトスピーチ、SNS等に氾濫する差別的な言葉など、原作が刊行された当時には問題視されていなかった新しい差別に対しても、観た者が向き合わざるを得ないよう、原作にはない普遍的な力を持った映画となっている。
さらに、この映画の登場人物で重要な存在であると感ずるのが、同僚教師の土屋銀之助である。彼は丑松の告白を聞くなり、「謝らなきゃいけないのはこっちさ。そうとも知らず何度も傷つけるような言い方を…」と謝罪する。彼の言動は、私は差別をしていないと思っている中で、実は差別する側に立ってしまっているのではないかと、映画を観ている者の心に語りかける鏡となっている。
原作の最後では、丑松は当時の政策の一つである海外移住を選択し、教職から去るイメージで終わる。しかし、今回の映画では今後も教職を続ける希望を予感させてくれるエンディングとなっている。それは、藤村が丑松と運動家猪子蓮太郎のモデルとした大江磯吉(彼の養子の名は猪子太郎)が、母の看病で帰郷した翌年35歳でチフスにかかって亡くなるまで、差別に屈せず最後まで教職を全うした姿が反映されている。

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