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《特集》箕輪町と同年生「70歳4人がみのわ愛を語る」(1)

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長野県箕輪町

箕輪町発足70周年を記念して、「令和7年に70歳を迎える町民」の方に声をかけ集まっていただいた4名に、幼少時代の思い出から、未来の子どもたちに伝えたいことまで、箕輪町への想いを語り合っていただきました。

・三澤 ちと江さん…松島出身
・竹腰 公夫さん…松島出身
・唐澤 修身さん…上古田出身
・中村 孝子さん…八乙女出身

◆幼少時代の思い出
唐澤さん:昭和30年代になりますを空かせていました。野山をかけ回って、春は山菜、夏は川で魚獲り、秋は山でキノコ採り、冬はそり遊びをしていました。あとは、家の手伝いをさせられていました。学校から帰ってそのまま遊びに行って、怒られたこともありましたね。
三澤さん:近所のいろいろな年代の子どもたちと缶蹴りなどをして遊んだことが、一番の思い出です。それと常会単位のバスハイクで鬼押出しにも行ったことも楽しい思い出です。

◆思い出のある風景
中村さん:水路橋を通って中学へ通っていました。外灯も少なく、暗くて怖かったことを思い出します。今でも近くを通ると懐かしくて、当時のことを思い出します。
竹腰さん:中町の国道沿いに住んでいますが、当時いまの八十二銀行の位置に役場があって、その北側にあったバスの車庫で遊んでいて管理人さんによく怒られていました。いまの庁舎の辺りは、草原や畑、果樹園だったと思います。

◆70年での箕輪町の変化
唐澤さん:一番変化したと感じているのは「農業」です。小学校の頃は、牛や馬で畑を起こしていて、その後すぐに耕運機ができて、機械で田んぼを起こすけれど、田植えは手で植えて、稲刈りは手で刈った。それが今では田植え機になり、稲刈り機になり、70年間で農業はものすごく変化しました。その分農家に余裕ができて、工業などの産業が発展したんだと思います。
中村さん:昔は道路は舗装されていなくて、真ん中に草が生えていたりしましたよね。車もほとんどなかったのが、いまでは一家に数台あるようになったことが大きい変化だと思います。
竹腰さん:私は家を継いで、こんにゃく屋をやっていたので、「商業」がどのように変わったのかをお話します。私の小さい頃は、町の中心部にほとんどのお店があったんですが、私が継ぐ頃に法律が変わって、国道のバイパス沿いに大型店ができ始め、「商業」の中心がバイパスへ移りました。それに伴い個人の店舗が、少しずつ減っていったように思います。

◆箕輪町の魅力と誇り
三澤さん:自然が豊かで、人が優しいとことが魅力だと思います。
上古田から仙丈の方を上の方から見た景色は素晴しいと思っていつも見ています。こういうところに住めて嬉しいと思いますし、また人とのつながりを通して、温かい気持ちを持っている人が多いなと感じています。
竹腰さん:災害や事件が少ない、治安の良いまちだと感じています。「安心・安全」なまちをずっと続けていきたいと思っています。

◆オススメの風景・人・モノ
唐澤さん:やっぱり「赤そば」や「もみじ湖」はオススメの風景です。
西山から見る南アルプス、蓼科山、天気が良ければ八ヶ岳がちょっと見えるかな。この風景は本当に大切に残していきたいと思っています。「赤そばまつり」など、これらを残していくためには、次世代の担い手が必要です。移住された方にも仲間に入ってもらっていますが、守っていってほしいと思います。
竹腰さん:なんと言っても「もみじ湖」「箕輪ダム」「紅葉」ですね。それと、ながた自然公園とその周辺。「赤そばの里」とその周辺などですが、一番気に入っているのは萱野高原から見た箕輪町の景色がオススメです。それと、人としてすごいと思っている人は、箕輪町地域おこし協力隊のみなさんです。みなさん、町民よりも箕輪町のことを考えてくださって、本当にありがたいと思っています。

◆守っていく、風景・人・モノ
三澤さん:いままで出たような、せっかくある良い景色などを、次世代の人たちが、なんとか守って、これから先につないでいってくれると嬉しいです。先ほど話に出た、地域おこし協力隊のみなさんや、外から来てくれた方たちの力も借りながら守っていかれたらいいと思います。

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