■長寿・金婚式
ー町長がお祝い訪問ー
敬老の日の2日後の9月17日(火)、町内で今年度中に金婚式と100歳以上を迎えられた方のうち、ご希望された方のご自宅へ羽田町長が訪問し、お祝いをしました。
町の敬老祝賀事業では、金婚式を迎えられたご夫婦に記念写真を、100歳以上を迎えられた方に記念品をそれぞれ贈呈しています。加えて、今年度中に100歳を迎えられた方にはお祝いとして内閣総理大臣からの祝状と銀杯が贈呈されました。
今年度100歳を迎えられる方が10名で、100歳以上の方が25名となりました。町内の最高齢者は、男性101歳、女性が104歳です。
日本人の平均寿命は男性が81.09歳、女性87.14歳。「人生100年時代」といわれる現代、医療技術の進歩や健康意識の向上などにより、今後も寿命は延びていくと考えられています。健康で豊かなシニアライフを送るための秘訣を今年度101歳を迎える羽田基則さん(唐沢)と102歳を迎える水出よしさん(長久保6区)にお聞きしましたので、是非ご覧ください。(本紙ページ4・5)
■100歳を超えても元気に暮らすおふたりに「健康」の源をお聞きしました
◇「今の平和な生活に感謝。身を慎(つつし)み、真正直(ましょうじき)に生きることが大切」
羽田(はた)基則(もとのり)さん
大正12年8月12日生まれ(唐沢)
和田で生まれ育ち、今年101歳を迎えた基則さん。毎日、茶碗一杯のご飯を3食食べ、「長寿の花」の製作や信濃毎日新聞に掲載されている「ときめきひらめき謎解き広場」を回答。そして時代劇を鑑賞し、19時30分には寝床へ向かい、日記を綴る。草が生い茂れば草むしり、雪が積もれば雪かき、天気が良ければ杖を使わず散歩へと、心身ともに元気な生活を送っています。
「今の生活は本当にいいわい。」と呟く基則さん。普段の生活の中で不満をいうことは、ほとんどないそう。79年前の終戦後の2年間、基則さんはロシアの捕虜として過ごしました。マイナス20℃の環境のもと、満州にある鞍山(あんざん)市製鉄所をロシアのウラジオストクに移動させるため、貨物列車への荷物の積み込みや馬の世話などをしていました。1日1食で薄いパン1枚と青物一切なしの岩塩汁のみ、お風呂も年2.3回という、今では考えられないような生活を経験し、基則さんは「当時のことを思えば、今はたいしたことないと思えるんだよ。」と話していました。いくつになっても驕(おご)らず真正直に過ごす基則さんの日々が明日からも続きます。
◇「どこに行っても引け目取らずに、楽しく生きてられればいいわい」
水出(みずいで)よしいさん
大正12年3月8日生まれ(長久保6区)
取材当日、「広報を通して、元気に暮らすよしいさんを町民の方に紹介したいです。」と伝えると、「紹介なんてしなくたって、俺のこと知らねぇ人なんていないわい。」と笑いながら答える、よしいさんは小諸市で生まれ、縁あって長和町に嫁ぎ、農家として働きながら、5人のお子さんに恵まれました。戦後はトンボやカマキリなどの虫を食べるくらい食料に苦労しましたが、現在は1日3食しっかり食べて、薬も一切飲まず、健康に過ごされています。
「好きなことをやれるのも生きているうちだけだわい。」と話す、よしいさんの好きなことは「歩くこと」・「話すこと」・特に「歌うこと」。毎朝、新聞を読み終えると愛猫のモンローと一緒にお散歩へ出かけます。昔から根が明るく、散歩に行く先々で談笑するのが日課です。羽田町長とお話する際も「町長顔して、えばるでねぇわ。」と言えるほど、誰とでも分け隔てなく接しますが、人の悪口を言うことはないそう。月1.2回はカラオケに行くほど歌うことが好きで、自己流の踊りと共に沢山の歌を披露してくださいました。「どうせ一度はあの世とやらへ〜」(流転…上原敏)と、よしいさんの歌声が今日も長和のどこかで響いています。
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