■山車紹介
◇〔上中町第2場〕道成寺(どうじょうじ)大蛇になった乙女の場
昔むかし、紀州(きしゅう)日高(ひだか)の里の道成寺で新しく鐘を作り、鐘楼(しょうろう)に吊(つ)り上げたのち、住職が皆の労をねぎらうと「これから供養の式典に入るが、この寺の定めに従って鐘の供養の間、女人(にょにん)の出入りを一切禁じるので、何人(なんびと)もこの定めを破らぬように」と言った。式典が行われ、手伝いのものにもごちそうがふるまわれていたころ、この国のかたわらに住むという白拍子(しらびょうし)の女人「清姫(きよひめ)」が、鐘の供養のために舞を奉納したいと訪ねてきた。
女人は「白拍子の舞を仏様に奉納するものです」と、寺男を説き伏せ、ついに寺男たちは白拍子を境内の中に入れてしまった。白拍子はおもしろげに、この寺の来歴を舞い語りはじめた。陽も暮れ、かがり火に怪しく映える女人の美しい舞姿に、皆は我を忘れうっとりと見入り、やがて寝入ってしまうと、川は波を荒立て木々はこずえを鳴らした。皆が気付くと、先ほどまで踊っていた白拍子が、鐘に近づき、人の技とは思えない動きで重い鐘を鐘楼から引きちぎると、そのまま鐘の中に消えてしまった。寺男が鐘楼の様子を見ると鐘が落ち真っ赤に焼けており、住職が聞きつけ、法要に集まった人々を帰して、残った僧たちに、この寺の恐ろしい言い伝えを話し始めた。「むかし、この国のかたわらに真砂(まさご)の庄治(しょうじ)というものがいて、娘がおり、また、そのころ、毎年、奥州から熊野詣(もうで)をする若い僧がいて、庄治はこの僧をことのほか気に入り、家族同様に扱っていた。そしてある日、幼い娘に冗談半分に『このお坊さんこそ、お前の夫となる方だよ』と言ってしまった。もちろん僧が夫婦になれないのに、幼い娘は一途に思い込んでしまったのだ。何年か後、庄治のところへ泊った僧に、乙女となった娘が「『今宵(こよい)こそ私を妻として迎い入れ、奥州へ連れて帰ってください』と言うと、びっくりした僧が、この寺に逃げ込むと住職たちはつき鐘を降ろして、その中に僧をかくまったのだ。そして娘心の恋に破れ、女の一念はその身を大蛇と変え川を泳ぎ回り、この寺にたどり着き、鐘の中に隠れていた僧を、蛇身(じゃしん)を持って七重に巻き締めると、鐘は真っ赤に焼き焦(こ)げて中に隠れていた僧は黒焦げとなった。恋する男を失った悲しさに耐え切れず、乙女は、日高川に身を投げ命を絶ったのだ。そのために代々の住職は皆な鐘の再興をためらっていたのだ」と、なんと恐ろしい物語だろうか。
◇〔中町第3場〕九尾(きゅうび)の狐(きつね)(玉藻前(たまものまえ))伝説の場
昔むかしのことです。千年を生き九本の尻尾を持つ大狐がいました。この大狐は美しく妖(あや)しい女の姿に化け、インドや中国でたいそうな悪事をはたらいていました。そしてある時日本へとやってきた大狐は「玉藻前」という美女に化け、京の宮中に仕えるようになりました。しかし宮中でも次々と悪事を働きこれを怪しんだ陰陽師(おんみょうじ)にその正体を見破られてしまいます。
宮中の宴(うたげ)の席で美しく装(よそお)っていた「玉藻前」はたちまち九尾の狐の姿へと戻り、天高く舞い上がると空を飛び、あっという間に都から遠く離れた那須野(なすの)が原(はら)へと逃げ込んでしまいました。
那須野が原でも悪事を働く九尾の狐に朝廷は討伐軍(とうばつぐん)を編成、三浦介義明(みうらのすけよしあき)、千葉介常胤(ちばのすけつねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)を将軍として派遣しました。
長い戦いの末、九尾の狐はようやく退治され大きな石へと姿を変えました。しかしその大きな石は長い間毒を吐き続け、近隣の人や獣(けもの)、空飛ぶ鳥や川の魚にまで害をおよぼし続け、いつしか「殺生石(せっしょうせき)」と呼ばれるようになりました。
昨今の地震や様々な災害に対しその災いを払拭(ふっしょく)するべく九尾の狐伝説の場を奉納いたします。
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