『飯山城下町絵図』は、武家屋敷の名前に本多十郎衛門、本多助之進など廃藩(はいはん)時の重臣名がみえることから江戸時代末期の作製と思われます。
主な家臣は屋敷ごとに姓名と家紋が記されていますが、そのほかは姓名のみが記されています。松平時代と比べると、かなり「御用地」「上地(あげち)」と書かれた空き地が目立ちます。
町名は六軒町(ろっけんちょう)、田町、福寿町、広小路、鷹匠町(たかじょうまち)が新たに見え、新町、上町、本町、愛宕町、伊勢町(いせまち)が1丁目〜3丁目に区割りされています。
長屋は26番まで区割りされ、町人地は城下の西側に南から上町、下町、肴町、愛宕町、伊勢町、片町(現神明町北端)と道沿いに配置されます。江戸末期の飯山城下町の景観、城下町の発展過程を知ることができる絵図です。
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