前回、城内の石垣、堀、櫓(やぐら)の修理願いが記された『日本古城絵図信濃飯山城2』から飯山石垣の規模と破損状況をみましたが、今回は櫓に注目します。絵図中の土塁(どるい)に「昔矢倉あり」と記された所が7箇所あり、これは「以前矢倉(櫓)があったところにまた設置したい」という許可願いですが、これ以降に製作された絵図には櫓を示す絵や文字がみられないことから、その願いは叶わなかったものと思われます。
また、本丸に2箇所、三の丸に1箇所二重櫓が描かれています。このうち本丸の南西角と三の丸の二重櫓はこの先の絵図にも描かれていることから長く建てられていたようですが、本丸南東角の二重櫓は後続する絵図『正保絵図飯山城』以降にはみられないことから、数十年ほどしかなかったともの思われます。一方で『正保絵図飯山城』以降の絵図には本丸虎口に渡櫓が新たに設置されたことが分かります。
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