■飯山を、今以上に、もっと好きになりたい
飯山地区 徳永信幸
▽大阪から飯山へ移住
私は昨年(2023年)8月に大阪から飯山へと移住してきました。飯山市出身の妻は20歳の時に就職で関西へ。それから十数年間出身地を離れていた妻は、自分の父親が病に倒れた時にすぐ駆けつけることができなかったことにもどかしさを感じていました。そんなある日、私は妻から「田舎で暮らすのはどう?」と相談されました。私は、空気がおいしい田舎で住みたいという思いもあり、また義両親への親孝行もできればと考え、移住を決心したのです。
移住してからも変わらず飯山は、やはり空気がおいしい。蛇口をひねって出てくる水は、沸かすことなくそのまま飲める。山々の風景や夜空を見て星の傾きで四季を感じられる。これらのことに、私は日々感謝しています。
▽三点の大きなショック
それでもカルチャーショックは付きまとうもので、移住して三点の大きなショックを受けました。一点目は、これはよいショックだったのですが、道を歩いていると知らない高校生や主婦の方などが、すれ違うときにあいさつをしてくれたこと。大阪で見ず知らずの人からあいさつされるということはなかったので、この温かさは田舎ならではだなと感じました。
二点目は、ゴミ捨てなどの区域割に自分の住所の地名(静間…大字名)が記載されていなかったこと。後でわかりましたが、同じ大字静間が飯山地区と秋津地区にまたがっていたり、大字がさらに細かく区で割られていたり、同じ区の中に二つの大字がある場合もあることなどが理由のようでした(飯山に住んで、これが当たり前になっていくまでに時間がかかりました)。
三点目は、市からの配布物や、町内で見られる看板や案内などに記載されている各機関等の連絡先に、市外局番(0269)が記載されていないこと。これには最初、私は驚きました。飯山市を訪れてくれる外国人や移住者からすると、市外局番が書いてないと、まずそれを調べるということが必要になります。前から住んでいる方々にとっては市外局番を覚えているのは当たり前のことなのでしょうが、インバウンドや移住者を迎え入れようとしているというのに優しくないな、という印象でした。
▽区長の任を受ける
そんな折に、「自治会の副組長をやってみないか」と声がかかりました。私はそれを引き受けるとともに、区の役員を決める会議の席上、(1)飯山へ移住してカルチャーショックも大きかったこと、(2)このためしかるべき場で責任のある立場で声を上げたいという思いもあったこと、などの理由から区長の任も受けました。
▽市民の声が反映されるまち
そんな経緯で南新町区の区長を務めることになりましたが、さっそく飯山地区の定例区長会で、先に述べた市外局番の件に触れ、提言をさせていただきました。私の意見は活性化センターから市役所の担当部署に伝えられ、4月号の「広報飯山」では、行政の様々なサービスの問い合わせ先・連絡先の欄に市外局番が記載されていました。飯山市は市民の声がすぐに反映されるまちなんだ、と実感することができました。ありがとうございました。
飯山市でこれまでに知り合えた人だけでなく、これから出会う人にも感謝の気持ちを忘れず、このまちをもっと好きになっていきたいと思います。
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