■新年明けましておめでとうございます
▽就任3年目
昨年11月から市長任期の3年目に入りました。過去2年間で公約した施策のうち、いくつかは着手できました。女性副市長の任命、雪かき支援員制度、学校給食の負担軽減、地域おこし協力隊の活用、冬期間の高齢者共同住宅(実証試験)、放置廃屋処理の取り組み、千曲川河川敷立木処理(飯山独自モデル)の取り組みなどです。前市長から引き継いだ道の駅「花の駅千曲川」の農・アクティビティ拠点施設は一昨年オープンし、城北小学校は今年4月に開校、9月には新校舎に移ります。
公約外の施策も、いくつかは緒に就きました。千曲川MIZBE(みずべ)ステーションの国土交通省登録や絵本のまちづくり。また、井階友貴先生を指導者とする健康のまちづくりは来年(2026年)飯山市で全国大会を開催します。いずれも運と人と人とのつながりから生まれてきました。
しかし、飯山市の人口は昨年11月1日現在の人口動態調査結果により、1万8000人を割り込み1万7972人となりました。2023年の人口減少率は2・6パーセントと極めて深刻な値となりました。
・地域おこし協力隊隊員数の推移(R7.1.1現在)
▽先人の心意気に学ぶ
このような中で、私たちのふるさと飯山で、市民はどうしたら安心して暮らせるのか。産業振興と雇用の確保というご意見をよくお聞きします。私はじっと目を閉じ、飯山の産業起こしの先人に思いをはせました。
石坂周造(1832年〜1903年)桑名川出身の幕末の志士。時代の変化を鋭く見極め、油田開発事業に邁進しました。日本で最初の株式会社を設立し、油田掘削機を輸入。その後、日本石油(株)を創設しました。
松田順次(1907年〜1994年)現在の池田町出身。長野県の技師として常盤の県農業試験場に着任。地域の農民の稲作の苦労(冷害による損害)を受け止め、稲の室内育苗法、稚苗定植法を開発。秋の早期刈り入れにより冷害から農民を守り、自動田植え機の開発普及につながりました。結果、1964年東京オリンピックの大規模開発工事に農村部からの人員確保に寄与し、高度経済成長の礎を築きました。
高橋勇士(1924年〜1987年)太田出身。昭和20年代から30年代にかけて、農村地帯の若者に仕事がなく、特に冬季の仕事がないことに苦悩しました。スキー民宿というスキー発祥の地にふさわしいスポーツ観光事業を導入発展させ、現在に至るまで地域経済を支える重要産業の一つとなっています。
▽飯山市の厳しい人口減少
今の飯山市の人口減少は誠に厳しい状況です。人口減少を食い止める特効薬はありませんが、安心して暮らせる地域を作ることが最善の方法です。特に20代30代の女性の人口減少が著しいです。あらゆる施策を動員して人口減少に歯止めをかける中で、特に若者、女性、子どもを中心とした取り組みが重要であると考えます。
▽令和7年度(2025年度)予算編成過程のパブリックコメント
昨年12月26日から1月16日まで、新年度予算案について市民の皆さまから意見を募りました。この市報が市民の皆さまのお手元に届く頃には、いただいた意見を整理し、最終案を議論していることと思います。市民の皆さまの意見にしっかり耳を傾け、全職員が一体となって、それぞれの施策が人口減少を食い止めることにどれだけ役立つか、人口増加にどれだけ結びつくか、しっかり予算を作り上げていきます。
▽駅前ホテル
一昨年来、飯山の駅前ホテルのことで皆さまにご心配をおかけしています。私は公約を愚直(ぐちょく)に進めていく一方、議会や事業者、市民の皆さまの意見に耳を傾け、考え、なんとか落着点を見いだしていくよう全力を傾注(けいちゅう)する所存です。
▽向かい風こそ
凧(たこ)は向かい風ほど高く舞い上がります(ウィンストン・チャーチル)。ヨットは向かい風でも操り方次第で前進できます。今、飯山市は向かい風の中で、安心して暮らせる地域を皆で模索し実現しようとしています。議論のための議論ではなく、経済を発展させ、地域を豊かにする。経済なくして暮らしの安心なし。強い経済の実現により、スポーツも文化も医療も健康も一体となって取り組むことができます。高齢者も社会的弱者も、子どもも、全ての人が安心して住める地域。これを作り上げるために議論し、実践してまいります。
私は市民の皆さまから毎日試験を受けている思いで努めております。市民の皆さまのご理解とご協力を、何卒よろしくお願いいたします。
飯山市長 江沢岸生
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