文字サイズ
自治体の皆さまへ

〔特集〕美と健康への挑戦〜いつまでも自分らしく輝くために〜(1)

1/20

長野県高森町

バックボーンや人生のストーリー、これまでに培ってきた経験や感性をステージ上で表現する「MRS.JAPAN」(ミセスジャパン)。また愛と感謝に溢れたカッコいい女性になろうをテーマにした「Mrs of the Year」(ミセスオブザイヤー)。外面だけでなく、内面から輝く美を競うこれらのミセスコンテストに挑戦し、夢を叶えた女性たちがいます。
何よりも大切なのは、年齢にとらわれることなく新たな道を切り拓いていくその気持ち。今回は生き生きと輝く3人の女性に、コンテストに挑戦したきっかけやその後の変化など、座談会形式で語っていただきました。

―コンテストに挑戦したきっかけは?
中塚:子育てがひと段落して50歳になり、人生について考える機会が増えました。人生100年時代、これから何をしたいか考えた時「おしゃれがしたい」と思ったんです。ちょうどそのころ娘の結婚式があり、ウエディングドレスの試着で「ステキ、私ももう一回着たい」と思ったりして。そんな時にコンテストの情報が耳に入り、チャレンジしようと決めました。

―まず何をしましたか?
中塚:一番はドレスが似合う体づくりです。インストラクターとして健康な体の大切さは伝えてきましたが「きれいな体」は追求してこなかったので、どうトレーニングしたら効果的か自分の体で実験してみようと思いました。仕事の面でも新たな扉を開けた形でしたね。
伊奈川:そんな中塚さんの挑戦が私にもきっかけをくれました。68歳の時に自宅で介護していた母親を看取り、しばらく家にこもっていたんです。そんな時、エアロビクス教室の先生としてお世話になった中塚さんがコンテストに出たと知り「私もやってみよう」と。主人も「いいじゃん!」と言ってくれて、月2回、中信で行われたレッスンの際も送迎など協力してくれました。
中塚:伊奈川さんたち、ラブラブなんですよ。受賞の時もほっぺにチュッてしててびっくりしました!
伊奈川:お恥ずかしいです(笑)。
中川:私は昨年5月に埼玉から高森へ移住しました。こちらに来てどうやって友達を増やそう…と考える中で、79歳で初めてネットの世界に飛び込んだんです。
中塚:ネットっていうだけで拒否しちゃう方も多いのにすごいですね。
中川:最初は、音声SNS「クラブハウス」に毎朝7時に入って自分を表現していました。そこでモデレーターをしていたのがミセスオブザイヤーの世界大会で準グランプリを受賞した方で、私の年齢と表現に興味を持ち「80歳を機にエントリーしてみませんか」と声をかけてくださったんです。
伊奈川:それで決断をされたのですね。
中川:最初、そのつもりはなかったのですが、インスタグラムやフェイスブックを通じてつながりを広げる中で、私と同じ年代の方が生活のスタイルをどんどん小さくしていたり、中には『地球を卒業していく方』もいらっしゃったり…。幸い私は健康ですし「挑戦することで何か発信できたら」と決意したのが今年の5月でした。

―健康や美への意識はもともと高かったのですか?
中川:いえ、全く。幼稚園教諭として60歳まで働いて、食生活も乱れていたし眠るのも深夜。退職と同時にボロボロの体しか残っていませんでした。中塚さんも言っていましたけど「人生これで終わってしまう。それでいいのかしら」と考えて。栄養について勉強し、生活も整えて20年でここまで来ることができました。

―美はコンテストに向けて特別に磨きましたか?
中川:特に何も。もともとこのコンテストに挑戦した理由が「自身にリミットをつくらず、愛と感謝にあふれたカッコいい女性に」というテーマに惹かれたからなんです。レッスンを始めてから、ドレスを着ると知ってびっくり。「私が出ていい場所じゃない」とやめたくなりました。
中塚:どう気持ちを持ち直したんですか?
中川:東京や埼玉の友人の間で「貴英子さんがチャレンジするなら長野見物もかねて見に行こう!」という応援団ができてしまって。やめるにやめられなくなってしまったのが正直なところです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU