棟方志功は明治36年、青森市の鍛冶屋を営む家に生まれました。父幸吉、母さだの三男で、十五人兄弟の第六子です。
絵描きを志したのは長島尋常小学校6年生の頃。沢瀉(おもだか)の花に心を奪われ、この美しさを表現できる人になりたいと思ったことがきっかけでした。小学校卒業後は家業の鍛冶屋の手伝い、17歳からは裁判所の給仕として働きつつ、空き時間や休日に合浦公園や八甲田に通い写生に明け暮れる日々を送りました。そして、同じく17歳の時に雑誌『白樺』に載っていたゴッホの《向日葵》に感動し、油絵画家になる決意を固めました。独学でしたが、見なくても描けるほどになった合浦公園や八甲田の自然、ねぶた、凧絵など、青森の風物から享受し体に染み込ませた素材や色彩感覚などは生涯の宝となりました。
このようにして絵の修行を積み、21歳で画家の登竜門である帝展入選を目指して上京。入選しなければ青森には帰らないと誓います。ところが結果は落選に次ぐ落選。その間に父は亡くなり、油絵の在り方への疑問を抱くようにもなります。初入選を果たしたのは5回目の挑戦、25歳の時でした。結果発表を聞くとその日のうちに青森行の汽車に乗り、青森駅からまっすぐ父母のお墓へ行って入選の報告をしたといいます。
その後は次第に版画へと主軸を移していきます。憧れのゴッホも高く評価していた日本の伝統的な木版画への意欲が高まっていたからです。版画の上達は早く、展覧会に出品するたびに結果を残しました。やがて世界を驚かせる快進撃の兆しはこの頃既に見えていたのです。
※協力:(一財)棟方志功記念館竹浪彩矢子学芸員 月1回計3回掲載予定
問合せ:文化学習活動推進課
(【電話】017-718-1432)
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