昭和3年頃から版画(昭和17年以降は板画と表記)の道を歩み始めた棟方は、昭和7年には早くも海外の美術館に作品が買い上げられたり、版画雑誌で特集が組まれたりと、版画家として急成長していきます。昭和11年には同年制作の《大和し美し》をきっかけに民藝運動(みんげいうんどう)の創始者である柳宗悦らと邂逅(かいこう)。制作技法や主題、民藝の思想など多くの学びを柳らから得るようになり、昭和13年の新文展において版画では官展初となる特選に輝いた《勝鬘譜善知鳥版画曼茶羅(しょうまんふうとうはんがまんだら)》や《二菩薩釈迦十大弟子》などの傑作を次々と生み出します。
このように国内での評価を着実に高めていた棟方でしたが、昭和27年、スイス・ルガノ国際版画展での日本人初となる優秀賞受賞を皮切りに、昭和30年、サンパウロ・ビエンナーレでの版画部門最高賞受賞、さらには昭和31年、ヴェネツィア・ビエンナーレでの国際版画大賞受賞と、戦後は世界の舞台で立て続けに輝かしい成績を収めました。
昭和34年にはジャパン・ソサエティらの招聘(しょうへい)を受けて初渡米。各地の大学での講義と実演、個展の開催、在米芸術家との交流など充実した活動を展開し、ヨーロッパへも足を延ばして5か国を巡りました。欧米の多様な芸術文化に触れたことで、作品の幅も広がりました。この後も3度渡米し同様の活動をしたほか、大規模な展覧会がアメリカ各地の美術館を巡回するなど、まさに「世界のムナカタ」としての活躍を最晩年まで見せ続けました。
※協力:(一財)棟方志功記念館竹浪彩矢子学芸員 月1回計3回掲載予定
問合せ:文化学習活動推進課
(【電話】017-718-1432)
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