棟方志功は昭和45年、文化勲章を受章しました。青森県出身者としても版画家としても初となる栄誉です。前年の初代青森市名誉市民称号授与に続いて、これまでの功績が認められたのです。このことを称え棟方の芸業を永く伝えようと、当時の青森県知事竹内俊吉の発案により棟方志功記念館が建設されることになりました。
建設にあたって棟方は、30作品程度をじっくり鑑賞できるような広さの展示室を希望しました。また、庭園についてもポプラ、カツラといった具体的な樹木名を挙げて「小さい森がほしい」と市に対して手紙で要望しました。一方、建築にはあまり関心を抱いていなかったようです。なお、設計を担当したのは棟方の長兄と親交のあった建築士齋藤賢佶で、校倉造りを模した建物は、棟方の作品は日本の宝物であるから校倉造りがふさわしい、という齋藤の考えによるものです。
開館を1年後に控えた昭和49年、棟方は旅先のアメリカで健康を害し、帰国後は闘病生活を余儀なくされました。病床でも記念館のために趣意書の表紙絵や題字を書いたりして開館を心待ちにしていましたが、昭和50年9月13日、帰らぬ人となりました。開館の2か月前でした。棟方の逝去により記念館開館は暗礁に乗り上げましたが、県や市をはじめとする作品所蔵者が協力しあい何とか開館へ漕ぎつけたことで、現在の記念館があります。
※協力:(一財)棟方志功記念館竹浪彩矢子学芸員 月1回計3回掲載
※「志功自筆書簡」は記念館で開催中の冬の展示「板極道」(3月31日(日)まで)内でご覧いただけます。
問合せ:文化学習活動推進課
(【電話】017-718-1432)
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