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歴史の小箱 No.424

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■石造物は語る
ー多呂(たろ)・北沢(きたざわ)ー

ふと道の傍らに目を向けると、神仏の姿や文字が彫られた石造物を見かけることがあります。郷土資料館ではボランティアの皆さんと共に中郷地域の石造物調査を進めています。今回は調査を終えた多呂・北沢地区の石造物を紹介します。
多呂地区では神明(しんめい)神社や田種寺(でんしゅうじ)、神葬祭墓地である祇園山(ぎおんやま)(通称・おにぎり山)に石造物が集中しています。地区内の石造物の数は全部で三十一基あり、そのうち二十一基が田種寺境内に所在しています。江戸時代前期につくられた「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)」から、令和に建てられた「アマビエ地蔵(経塚(きょうづか))」まで幅広い造立年代の石造物を見ることができます。
田種寺境内の右手には小さなお堂が建っています。そこに祀られているのが庚申塔(こうしんとう)です。正面に青面金剛(しょうめんこんごう)・一邪鬼(じゃき)・二童子(どうじ)・三猿(さんざる)、両側面に四夜叉(よんやしゃ)が刻まれており、欠けもなく保存されています。この庚申塔は明治になる少し前につくられたといわれていますが、はっきりしたことはわかりません。
庚申(かのえさる)をめぐる信仰は、六十日ごとにめぐってくる庚申の日(十干十二支(じっかんじゅうにし)の組合せの一つ)の夜、寝ている間に体内から三尸(さんし)という虫が抜け出して、その人の日頃の悪い行いを天帝に告げて寿命を縮めてしまうという道教の説に由来しています。この庚申の日にみんなで集まって寝ずに夜明けを待つ庚申講が江戸時代に各地で盛んに行われました。この講によって建てられたのが庚申塔です。多呂地区では現在行われていませんが、昔は皆で集まり、お酒を飲んで騒いで、夜を明かしたと伝わっています。
北沢地区では四十六基の石造物を確認できました。うち十七基は向山古墳群公園内にある標石です。また、愛宕(あたご)神社や向山小学校近くにある空地にそれぞれ十基ほどの石造物が並んでいます。愛宕神社には巡拝塔(じゅんぱいどう)や道祖神(どうそじん)、空地には馬頭(ばとう)観音などがあり、もともと地区内に散在していたものを一カ所に集めたのだと思われます。
北沢公園の片隅には馬頭観音とともに「観音大士」と刻まれた石橋供養塔(いしばしくようとう)がたっています。もとは旧古川橋(現在の古川橋の上流にあった)の北沢口にありました。この供養塔は寛政十一年(一七九九)に建てられたものです。橋をかける工事の安全や、橋や道路の維持、通行する人々の無事を祈願する際に建てられたものだと考えられています。

楽寿園内の郷土資料館では10月28日(土)から企画展示「三島宿へようこそ」を開催します。

郷土資料館(楽寿園内)
【電話】971・8228

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