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歴史の小箱 No.418

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■地区の歴史ー松本(まつもと)ー
北上・中郷・錦田地区の旧村を不定期で紹介してきました「地域の歴史」シリーズは、このたび最終回を迎えます。最後となる今回は、中郷地区に位置する松本についてご紹介します。

松本は境川東岸に位置し、北に平田(ひらた)、東に梅名(うめな)・安久(やすひさ)、南に御園(みその)、西に長伏(ながぶせ)が接しています。その地名の由来については二説あり、松の樹があったためとする説、松本姓の人が住んでいたためとする説が伝えられています。
戦国時代の古文書には「下松本」という地名が見え、江戸時代の古文書にも「上松本」「下松本」の名が見えるので、はじめ一村であったものが、いつのころか二村に分かれたようです。上・下ともに江戸時代に幕府領となりますが、十九世紀半ばに小田原藩領に移されて、幕末に至りました。
明治十一年(一八七八、あるいは明治十五年とも)に上松本・下松本の二村は合併し、再び一村に戻ります。明治二十二年には町村制施行により周辺十五村と合併して中郷村が成立し、松本はその大字の一つとなりました。
さて、県道一四〇号沿いに位置する松本公民館の隣には、上・下松本村の土地神を祀(まつ)る高橋神社が鎮座しています。
この神社がいつからあるのか不明ですが、平安時代成立の法典『延喜式(えんぎしき)』には、伊豆国田方郡内の神社として「高椅(たかはし)神社」の名が見られ、この神社がすなわち現在の高橋神社のことを指すと推測されています。
祭神は、明治時代成立の『増訂(ぞうてい)豆州志稿(ずしゅうしこう)』という地誌の中では不詳とされていましたが、現在境内に建てられている看板では、磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)と記されています。この神様は、古代の豪族 膳(かしわで)氏の遠祖と伝えられ、膳氏は大化前代に天皇や朝廷の食膳の事に奉仕した氏族です。その本流は、七世紀末に高橋氏へと改姓しました。
これら、社号と平安時代以前の創建という可能性から、古代、松本の辺りに高橋氏の一族が住んでおり、その氏神として建てられた社が高橋神社なのではないかという説が示されています。一方で、昔この地に高く架けた橋があったことから高橋神社の名が付けられたという話も伝わっていて、正確なところはよくわかりません。
現在、公民館脇の参道を進んだ先に広がる境内には、正面に本殿、脇に木造の祠(ほこら)二前(ぜん)を確認できます。祠には、熊野神社・山神社がそれぞれ祀られており、山神社の祠には「奉納御山神社守護処/上松本村」と刻んだ石碑が安置されています。本殿には、寛永元年(一六二四)十二月の棟札(むなふだ)(築造・修理の際などに棟木に打ちつける板)が遺り、その築造年代は江戸時代にさかのぼるようです。本殿前には四基の石灯籠が並び立ち、そのうちの一基には元禄十三年(一七〇〇)九月十九日の日付が刻まれていて、本殿とともに江戸時代の松本村の様子の一端を今に伝えるものとなっています。

楽寿園内の郷土資料館では、企画展「三島ゆかりの文化人たち」を開催中!(5月28日(日)まで)

問合せ:郷土資料館(楽寿園内)
【電話】971・8228

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