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歴史の小箱 No.420

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■商店街に残る三島宿の名残
三島の中心市街地は、江戸時代の宿場(しゅくば)が発展したまちです。三嶋大社前を東西に走る大通りは江戸時代の東海道にあたりますが、昭和初期に道幅が広げられたこともあり、その景観は大きく変わっています。今、予備知識なしに大通りを歩いても、ここがかつて旅籠が立ち並び、旅人が行き交った東海道の宿場であったことに気づく人は少ないでしょう。しかしじっくり歩いてみると、宿場の名残がそこかしこにあります。
例えば「広小路(ひろこうじ)」という地名。ここは火災の時に延焼を防ぐよう火除地(ひよけち)として広く空間を取っていたことに由来します。また三島中央町郵便局は、江戸時代には「問屋場(といやば)」といって、宿場の重要な機能である継立(つぎたて)(荷物や人馬を宿から宿へ継送りにすること)の業務を担う、宿場の中心的機能が置かれたところです。
そして街道といえば参勤交代(さんきんこうたい)の大名行列ですが、大名や公家など身分の高い人専用の宿泊施設である「本陣(ほんじん)」は、現在の本町交差点の西に二軒、南側に樋口本陣、北側に世古本陣が向かい合うように建っていました。歩道上にはそこが本陣跡であることを示す石碑が建っています。本陣の建物は宿内随一の広さを誇りました。一般の旅籠(はたご)なら間口(まぐち)四~五間(けん)程度ですが、本陣は十八間半~十九間程度と相当な違いです(「三島宿町軒図」)。これは今でいえばどのくらい広いのでしょうか。気になる人は、実際に本陣跡を訪ねてみてください。実は、両本陣跡の歩道の敷石に間口の広さが示されています。
例えば樋口本陣の場合、広さは間口十九間一尺(約三十五メートル)、奥行きは四十二間四尺(約七十八メートル)にもなります。総坪数八四八坪、建坪三二二坪、部屋数二十七室を誇り、大人数が宿泊できる設備が整っていました。
本陣の間口を歩道の敷石で示すアイデアは、電線類地中化事業(平成十三~二十年)に合わせて歩道や街路樹などを整備する中で実現しました。併せてアーケードが撤去され、通りの東西を広く見渡せるようになりました。広小路から東を望むと通りの左手にはこんもりと木々が茂る三嶋大社、まっすぐ正面には街道一の難所・箱根山が見えます。江戸時代の旅人が見た風景に、少し近づいたのではないでしょうか。

楽寿園内の郷土資料館では、特別展「150年後の国宝候補」を7月2日(日)まで開催しています。

問合せ:郷土資料館(楽寿園内)
【電話】971・8228

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