■~生きる支えとなるもの(5)~
あることがきっかけで、三遊亭楽太郎((故円楽師匠))さんと両国で食事をすることがありました。かなり昔のことです。楽太郎さんは親交深かった力士を何人かお連れしてきたので、一緒に鍋料理を囲みました。寺尾関((錣山親方))や逆鉾関もいて、それはもう尋常でなく豪快な飲みっぷりでした。
楽太郎さんの話がそれはもう面白くて、当時生徒会担当の私は「こんな方を学校の文化祭に呼べたら」などと思い、翌日教頭先生に、秋の文化祭の「楽太郎講演」を提案したのです。それが校長先生に伝わると、案の定「子どもたちに落語を?」「一体いくらかかると思っているんだ」と。確かにと思いながらも、門前払い覚悟で依頼文を書き、江東区にある落語協会事務所に行く許可を取り付けました。予算は交通費込みの出演料5万円という、わずかな生徒会費。無謀でした。
楽太郎さんは「無理です。でも5万円なら弟子を行かせましょう。『三遊亭かつお』ってやつですが。」知りません。見たことも聞いたこともありません。「明石家さんま」に対抗して付けた名前だそうです。それでも念願の落語講演会を文化祭でできる。生の落語で子どもたちに喜んでもらえる、と即決しました。
お弟子さんとはいえ稽古をたっぷり積んだ落語家です。600余人がかつおさんの話術に魅了され爆笑の渦でした。今、「笑点」に円楽((楽太郎))さんの姿はありませんが、私には、事務所にお願いに上がった時のことや笑い声の響く体育館の記憶が鮮明に残っています。企画を共にした生徒会執行部の生徒たちとは今でも年賀状を交わし連絡を取り合っています。ただ、かつおさんは現在どこでどんな人生を送っていらっしゃるか。テレビで「さんま」を見ると、よく「かつお」を思い出します。かつおさんと、かつおさんを送り出してくれた円楽さんには今でも感謝しています。
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