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こんにちは、教育長です

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静岡県下田市

■~天城越え~
「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた」これは石川さゆりさんの「天城越え」。
「私がはじめて天城を越えたのは三十数年昔になる」これは松本清張(まつもとせいちょう)の「天城越え」の冒頭。「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ」
これはご存じの川端康成(かわばたやすなり)「伊豆の踊子」の冒頭ですね。私も野鳥の捕獲・飼育が許可されていたころ(30~40年も昔になりますが)は、毎週末鳥もちと囮(おとり)、弁当を抱え、天城隧道をくぐり天城山に出かけたものです。中学生時代は遠足で八丁池に出かけ、教師時代は生徒を引率して遠足定番の天城縦走。八丁池がとても広く感じられ、巨木「太郎杉」に圧倒されたことなどは、今でも鮮明な記憶として残ります。自然豊かな景観の継承、経済、商業、歴史、文化、そこから生まれた数々の作家、文学作品など、伊豆の玄関口から半島、伊豆南が天城山隧道(旧天城トンネル)から受けた恩恵は計り知れません。 
今、伊豆縦貫自動車道の開通に向け工事が進められていますが、完成により伊豆半島が、そしてここ下田がどう姿を変えていくのか楽しみでなりません。その昔は天城山中には獣道の他には道らしい道はなく、天城山を貫くトンネルの開通などは想像の域を超えていました。ところが、数々の文献、当時の新聞記事等によると、明治の時代に県議として地元下田から当選した矢田部強一郎(やたべごういちろう)氏の並々ならぬ尽力によって天城山隧道開通が実現したという記録が残されています。そこには街道の開通に加え、稲生沢川の灌漑(かんがい)用水、賀茂地域に広めた養蚕(ようさん)業など、強一郎氏の功績が讃えられています。その功績を後世に伝えるべく、令和6年6月2日、天城山隧道開通の顕彰碑が、河内志戸橋を渡って程ないご子孫矢田部さん宅の敷地一角に建立されました。碑の陶板には、強一郎氏の足跡が隧道の風景と共に刻まれています。伊豆縦貫自動車道の前世の様子を伺いに、ちょっと足を運んでみてはいかがでしょうか。

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