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文化財通信 その220

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静岡県伊豆の国市

■変わりゆくもの・変わらないもの
―甑(こしき)・甕(かめ)・鍋のこと―

私たちの先祖たちは、生きるために、動物や植物などを狩猟・採集、そして調理・加工をしてきました。調理の基本は「加熱」です。これにより硬いものを柔らかく、おいしくします。
国内の遺跡で確認された調理の痕跡の中で最も古いものは、「蒸し焼き」でしょう。焼けた石を集め、その熱を利用していたと考えられます。一方、「煮る」という調理法が始まったのは、うつわ(土器)が出現した縄文時代でしょう。現在、私たちの周りにある鍋や釜のルーツは、縄文時代にさかのぼります。
市内三福の仲道A遺跡では、縄文時代草創期の土器(写真1)が出土し、県の文化財に指定されています。この遺跡で出土した土器の大半は「煮る」ためのうつわでした。
稲作が本格化した弥生時代や次の古墳時代の初めの頃は、住居の真ん中に「炉」を設け、そこにうつわを据えました。このうつわは現在「甕(かめ)」と呼ばれ、お米を雑炊のように調理していたと考えられます。
5世紀後半(古墳時代中期)に、画期的な設備が登場します。それはかまどです。この頃は甕をかまどに据え、その上に乗せた「甑(こしき)」の中の布などにくるんだお米を「蒸す」という調理法(図1)が普及します。現在のもち米の調理法と同じであったと考えられます。
奈良・平安時代以降、鍋や釜などが出現します。浅く作られたものを鍋、周囲に鍔(つば)を付けたもの、鍋より深いものを釜と呼ぶことが多いようです。これらは主に粘土で作られましたが、鉄や石の鍋もありました。
平安時代の終わり頃から、先祖たちの住居は、床板を貼った建物へ変化します。囲炉裏で、鍋などを五徳の上にのせて調理している風景を、絵巻物に見ることができます。
現代の私たちが使う調理のうつわは、IHクッキングヒーター対応などさまざまな材質・形があります。うつわの変化は、先祖たちの生活の発展を物語っているのです。

問合せ:文化財課
【電話】055-948-1428

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