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【最終回】徳川家康と藤枝

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静岡県藤枝市

■家康の死因は鯛の天ぷらか!?
大御所家康は元和2年(1616)1月21日、田中城へ鷹狩りに出向き、その晩、二人の息子や京の豪商・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)らと夕食をともにしました。『元和年録(げんなねんろく)』によると、鯛をごまの油で揚げて、にんにくをすりかけて食べる料理が京都で流行っていると、茶屋が申し上げたので、家康は早速、駿河湾で捕れた鯛を調理させ、「殊(こと)のほか風味が良く」いつもより多く食べました。ところが、夜半に激しい腹痛に見舞われました。家康は自ら調合した万病円(まんびょうえん)などの丸薬を飲んで静養し、1月25日に駿府城へ戻ったものの、次第に食が細くなり弱っていき、4月初めには絶食し側近に遺言を残します。4月17日、享年75歳で亡くなりました。
侍医の記録では、家康の腹中には塊(かたまり)があって時々痛んだとあり、胃がんの腫瘍があったようです。家康はこれを寄生虫の仕業と考えました。油っこい鯛の天ぷらで胃がんの症状が表面化し、発症のきっかけになりましたが、直接の死因ではないと考えられています。

問合せ:文化財課
【電話】645・1100

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