■家康最後の外遊先は田中城だった
駿府城に住んでいた晩年の大御所の家康は、鷹狩りの道中、田中城にたびたび立ち寄り、休憩や宿泊をしました。家康は、田中城の本丸にあった立派な御殿に滞在し、鷹狩りで獲れた鳥獣を調理して、側近たちとの宴会を行ったと考えられます。7~8棟の建物が渡り廊下で接続された御殿は、屋根が入母屋(いりもや)造り・杮(こけら)葺きで簡素ながら格式のある武家の伝統建築で、「田中御旅館」とも称されました。
元和2年(1616)1月21日、数え74になった家康は、咳(せき)が出るのも構わず、2人の年若の息子たち(頼宜・頼房)を連れて、田中に鷹狩りにやって来ました。京都から旧知の豪商・茶屋四郎次郎も加わり、会話も弾む和やかな雰囲気で、茶屋に勧められた鯛の天ぷらをいつもより多く食べたところ…。
実は、家康最後の外遊先が田中城だったのです。その日にいったい何が起こったのか?家康のこの一日をユニークなジオラマに仕立て、特別展「徳川家康と田中城」で初公開しています。ぜひご覧ください。
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