■天下分け目の関ケ原合戦の勝利を予言した「藤八柿」
慶長5年(1600)9月、家康は軍勢を率いて、石田三成が指揮する西軍との決戦場・美濃国関ヶ原へ向かっていました。9月6日、家康は藤枝宿を通過し、洞雲寺(とううんじ)(藤枝5)で休憩しました。寺の有力檀家(だんか)だった五十海村の橋本藤八が、屋敷の柿を家康へ「美濃の大柿でございます」と献上したところ、家康は「美濃の大垣ははや我が手に入ったぞ」と大喜びしました。このとき、西軍の本営は美濃国大垣城にあり、清洲城の東軍とにらみ合っていました。藤八は大柿を大垣とかける見事な機転を利かせ、家康に合戦の勝利を予言しました。この時点で豊臣方諸将の去就を心配していた家康は、藤八の言葉をさぞ頼もしく感じたことでしょう。
果たして9月15日の関ヶ原合戦では、家康の東軍が大勝利を収めました。帰陣の折り、家康は藤八に羽織・袴(はかま)を下賜し、柿の異名を「藤八柿」と呼ぶよう命じました。
現在、洞雲寺には徳川葵の御紋入りの茶碗が大切に保管されています。
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