■市制施行70周年・サッカーのまち100周年記念コラム
足で「蹴る」ことは、古くから世界各地で行われてきました。エジプトではおよそ4千年前の壁画に球形のものを蹴り合う様子が描かれ、中国では2千年前から、蹴鞠(けまり)が兵士の訓練に取り入れられていました。そして日本では、644年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌子(なかとみのかまこ)(藤原鎌足(ふじわらのかまたり))がけやきの木の下で打鞠を行ったと、日本書紀に書かれています。
さて、江戸時代、藤枝に蹴鞠名人がいたことが知られています。当時の藤枝は、東海道の宿場町として栄えていました。そのような中、藤枝宿屈指の豪商として栄えた、白子(現在の本町2丁目)の大塚家(奥州屋)は中央の文化人とも積極的に交流し、芸術文化の拠点となっていました。なかでも、大塚正名と正輔の兄弟は蹴鞠に秀で、1770年代に京都の公家・飛鳥井(あすかい)家から蹴鞠装束の免許状を受けるほどの実力だったそうです。
それから約150年後、大正13年に志太中学校初代校長の錦織兵三郎(にしごりひょうざぶろう)が、サッカーを校技として制定。藤枝サッカーの歴史が本格的に進み出します。
■直近の周年事業スケジュール
3月17日(日) 玉露の里椿まつり
3月17日(日) せとや陶芸まつり
3月30日(土)~31日(日) 金比羅山・瀬戸川桜まつり
4月6日(土)~6月9日(日) 博物館特別展「昭和の暮らしと風景展」
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