弥次(やじ)さん喜多(きた)さんと行く! “現代版”東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)
江戸時代に旅ブームを巻き起こしたベストセラー「東海道中膝栗毛」。弥次さん喜多さんが東海道を旅するドタバタ珍道中に、多くの人が笑い、夢中になりました。
今回は、そんな弥次さんと喜多さんが現代にタイムスリップ。今の藤枝のまちを旅します。
■旅ブームを巻き起こした「東海道中膝栗毛」
享和(きょうわ)2年(1802年)〜文化11年(1814年)に初刷りされた、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本(こっけいぼん)。文章もさることながら挿絵が面白く、読者の旅情を誘いました。
現代のマンガのように、テンポが良い展開で読みやすい東海道中膝栗毛。この本を読んで旅に出ようと思い立った江戸庶民たちが、旅の大ブームを作りました。物語は弥次さんと喜多さんの2人が伊勢を目指し、東海道中を旅する様子がコミカルに描かれています。
■「駿州(すんしゅう)の旅」が日本遺産に認定!
日本遺産は、地域の歴史的な魅力や特色などをストーリーとしてまとめ、文化庁が認定する制度です。世界遺産は文化遺産の保護などを目的として認定されるのに対し、日本遺産は有形・無形に関わらず、文化資産を活用し、地域の活性化を図ることを目的としています。
本市と静岡市では、「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅」と題し、東海道沿いに残る歴史文化資源を構成文化財として共同申請し、令和2年度に日本遺産として認定されました。
■旅の主人公
○弥次郎兵衛(やじろべえ)
通称:弥次さん
駿河国府中(ふちゅう)(現在の静岡市葵区)の出身で、実家は裕福な商家。東海道の旅に出発する当時、数えで50歳。作者の十返舎一九によると「のらくら者」のようだが、さまざまな書籍に詳しく、高い教養を持つ人物。
○喜多八(きたはち)
通称:喜多さん
駿河国府中(ふちゅう)(現在の静岡市葵区)の出身で、実家は裕福な商家。東海道の旅に出発する当時、数えで50歳。作者の十返舎一九によると「のらくら者」のようだが、さまざまな書籍に詳しく、高い教養を持つ人江尻(えじり)宿(現在の静岡市清水区)の出身で、出発当時、数えで30歳。仕事を解雇され、弥次さんの家に居候(いそうろう)している。現代にタイムスリップした喜多さんは、発展した藤枝の街並みに興味津々。
喜多さん:藤枝に到着!どんなまちになっているか、楽しみだなぁ。
■蔦(つた)の細道
江戸時代の東海道が整備される前に使われていた、古代・中世の東海道。平安時代の歌物語「伊勢物語」にも、蔦の生い茂る寂しい山道として登場する。
喜多さん:岡部宿は当時の面影が残っていて、懐かしいなぁ〜!あれからもう200年も経つのか〜。
弥次さん:五右衛門風呂で足湯に入れるみたいだから、ちょいと寄ってみよう。
■岡部宿大旅籠柏屋(おおはたごかしばや)
東海道21番目の岡部宿を代表する旅籠(旅人を泊める宿泊施設)。柏屋は規模が大きいことから、「大旅籠」と呼ばれていた。二度の焼失を経て、江戸時代後期(1836年)に再建。国登録有形文化財、日本遺産構成文化財でもあり、現在は当時の様子を伝える資料館となっている。
喜多さん:立派な五右衛門風呂だ!今度は壊さないように慎重に入らなきゃ…。
※東海道中膝栗毛では、五右衛門風呂の入り方を知らなかった喜多さんが、小田原宿で風呂釜を大破させたエピソードが書かれています。
岡部宿から歩いて、蓮華寺池公園にやってきた2人。
喜多さん:この辺りには確か大きいため池があったなぁ…かなり賑わっているねぇ。…ってあれはなんだ!?
大きい鳥が人を運んでいる!?
弥次さん:いんや…、あれはきっと下に屈強な川かわごしにんそく越人足が何人もいるに違いない。
※当時、川には橋がかかっていなかったので、川を渡る人々は「川越人足」に有料で運んでもらっていました。
■蓮華寺池公園
公園中央の蓮華寺池は、江戸時代に農業用水を確保するために人工的に築かれたもの。江戸時代に活躍した絵師・司馬江漢(しばこうかん)が残した「江漢西遊日記(こうかんさいゆうにっき)」には、蓮華寺池の堤にのぼってお酒やお菓子を楽しんだ様子が記されており、今も昔も行楽の場所であったことがうかがえる。
しばし蓮華寺池公園の散歩を楽しんだ、弥次さん喜多さんなのでした。
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