■新春対談 香川から世界へ夢のシュートを
◎渡邊雄太(わたなべ・ゆうた)選手
バスケットボール日本代表。三木町出身。206センチ、98キロ。小学生の時にバスケットボールを始め、尽誠学園高校では、1年次よりスターターとして全国大会に出場。全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会で2011年、12年と2年連続で準優勝し、大会ベスト5に選出。高校卒業後に渡米し、セント・トーマス・モア・スクールを経てジョージ・ワシントン大学に進学。18年にメンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結び、日本人2人目のNBAプレイヤーとなった。その後、トロント・ラプターズ、ブルックリン・ネッツで活躍し、2023年7月にフェニックス・サンズと契約。2023年のワールドカップでは日本代表の中心選手として活躍し、2024年に開催されるパリオリンピックの出場権獲得に大きく貢献した。
池田知事:香川県出身の渡邊雄太選手は、アメリカのプロバスケットボールリーグ「NBA」の選手となって活躍し、昨年の夏にはワールドカップの日本代表のメンバーとして快進撃を見せてくれました。中学・高校とバスケットボールに明け暮れていた私にとって歓喜と感動の連続でした。それにしても、スリリングな試合展開でしたね。
渡邊選手:いまだに昨日のことのようにあの時の喜びと興奮がよみがえります。パリオリンピックを目指して、チームみんなで力を合わせてきたので、やはり最高の瞬間でした。
◯「代表引退」発言の真意
知事:男子代表の自力でのオリンピック出場権獲得は48年ぶりの快挙です。大会前に「オリンピックの出場権を獲得できなかったら日本代表を引退する」と公言されていました。その覚悟の真意をお聞かせください。
渡邊:負ければ本気で代表を引退するつもりでした。日本代表では長い間世界相手に勝てず、今回も同じことを繰り返すなら、10年後を見据えて早く若い選手に代表の席を譲った方が日本のためになるんじゃないかと考えました。昨年のワールドカップで、ようやく世界を相手に勝つことができました。これから日本のバスケットボール界は大きく変わると思います。
知事:フルタイム出場した試合も攻撃、ディフェンスともにコートで動き回っていました。長い時間よくあんなことができるなと驚きました。それは渡邊選手の覚悟の裏返しでもあったんですね。
渡邊:最後の試合だったので、終わればしばらく休養できますし、試合中はアドレナリンも出ていたので、ずっとコートにいたいという気持ちでした。オリンピックの出場が決まった直後は、うれしさで疲れも吹き飛びましたね。
◯バスケットの魅力とは渡邊雄太
知事:小学生の時にバスケットボールを始められたそうですが、競技の魅力や面白さはどのようなところでしょうか。
渡邊:試合の展開が早く、終盤で大逆転もあるので、観戦する人は楽しいと思います。出る選手によって役割や戦術が変わるなど、細かい部分も含めて面白いですね。
知事:ワールドカップでは20点差からの逆転勝利もありましたが、よくあることですか。
渡邊:早い展開から3ポイントシュートで得点するスタイルが世界の主流になっています。世界大会で格上相手に逆転できたのは、日本代表の力だと思います。本来なら、前半からできれば良かったんですけど(笑)。
◯地元高校を選んだ理由
知事:尽誠学園高校では、1年生からレギュラーとして活躍し、輝かしい成績を収められました。高校時代の思い出や競技生活で得たことを聞かせてください。
渡邊:すごく信頼できる恩師や、今でも親友でいてくれるチームメートに出会えたことは大きいですね。中学時代は結果を出せずに悔しい思いをしましたが、高校では全国の強豪校を相手に勝ち進み、自分だけでなく尽誠学園の名を全国にとどろかせることができました。
知事:県外の高校に進学する選択肢もあったと思いますが、なぜ香川に残ろうと決めたのですか。
渡邊:両親からアドバイスはもらいましたが、最後は自分で決めました。尽誠学園の練習を見学し、練習の質や激しさを見て、このチームでプレーしたいと思いました。何より、色摩拓也先生(監督)の話を伺い、この人に指導してもらいたいと思ったのが大きかったですね。尽誠学園のおかげで香川に残ることができ、今の自分があると思っています。県外に出れば良かったと思ったことは一度もありません。
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