小学校六年
ぼくが手話と初めて出会ったのは、五年生の手話体験学習です。耳の不自由なHさんが普段の生活について教えてくれました。来客時にインターフォンが聞こえないから、ライトで知らせるようになっていたり、テレビには字幕がついていたりして、ぼくの家とは違っていることがたくさんありました。
また、ぼくの母は手話の勉強をしています。きっかけを聞いてみたら、過去に耳の不自由な人と接することがあって、もっとスムーズにコミュニケーションを取りたいと思ったからだそうです。初めて手話を学んだ時はむずかしいと感じたけれど、ぼくが声でコミュニケーションを取るのと同じで、耳の不自由な人にとっては、手話がコミュニケーションツールなのだと分かりました。それでも、聞こえることが前提の社会では、不便なことや苦労が絶えないのではないかと思います。学校では友だちが話している輪の中に入りづらかったり、道を歩く時には後ろから来る自転車や車の音が聞こえなかったりするからです。電車やバスのアナウンスも聞こえないので、うっかり寝てしまうこともできません。
ぼくは、みんなが悲しい思いをしなくてすむように、少しでも住みやすい社会になったらいいなと思います。筆談という方法もあるけれど、手話ができる人が増えたら、話もスムーズにできるし、より多くの人との会話もはずむのではないかと思います。聞こえない人でも、人工内耳の手術をすることで聞こえるようになる場合もあるようですが、聞こえなくなった時期や理由によって手術ができないこともあるので、今よりもっと医学が進歩することも願っています。
今後、耳の不自由な人が困っていたら、とまどうことなく、自分から話しかけていこうと決めています。人と人との見えない壁を取り去るのも人だと、ぼくは思います。
◆障害がある方の生活に目を向け、自分にできることに取り組もうとするあたたかい気持ちが伝わってきます。見えない壁がなくなる社会にしていきたいですね。
問合せ:人権推進課
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