■丸亀城南西部石垣の変遷
これまで、「丸亀城南西部石垣の基礎構造」として、石垣の最下段の「根石」や、その下に敷かれていた「胴木」、そして斜面を階段状に削った「段切り」などをご紹介してきました。これらの構造は、石垣が完成すると地中深くに隠れてしまうので、おそらく江戸時代に築かれてから今回の復旧事業でその存在が明らかとなるまで、誰も見ることすらできず、築造当初の姿のまま現代に至ったと考えられます。一方で地上部に見えている石垣はどうでしょうか?
300年以上にわたりその姿を保ってきた石垣ですが、築造当初から全くその姿が変わっていないかといえばそうではなく、江戸時代の中でも修理が行われたり、新たに築いたりすることでその姿が変わっていきます。
次号からは丸亀城南西部石垣の変遷をたどってみたいと思います。まずは、山﨑氏による丸亀城再築時の姿が描かれた「正保城絵図」をじっくりと見てみましょう。
※詳細は本紙14ページまたはPDF版をご覧ください。
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